幻想水滸伝
黒衣の罪人
 
 
 
 鎮魂祭――それは3年前の戦で失われた魂に、人々が祈りを捧げる日。
 日頃は活気に溢れた黄金の街が、眠りについたように静寂に包まれる。道を行く人々は皆、死者を追悼する黒い衣装に袖を通していて。
 その光景は、まるで聖地にも似た神聖な空気を漂わせていた。

  コンコンコン…
 
 不意に、郊外に立つものの中でもひときわ立派な屋敷の扉が叩かれる。
 程なくして、室内からトントンと軽快に階段を駆け下りてくる音が聞こえた。
「はい」
 扉を開けて客人を出迎えたのは、この屋敷の若き主人。彼もまた黒い宮廷衣装を身に纏っており、その姿はいつにも増して大人びて見えた。
「こんにちは、マクドールさん!」
「あぁ、よく来たねカナタ。それから…――――」
 目の前の金輪の少年から、その隣に視線を移す。
 そこには、古ぼけた茶色いマントを羽織った初老の男が立っていた。
「………ようこそいらっしゃいました、ゲオルグ殿」
「久しぶりだな、ユリウス」
 どこかぎこちなく微笑んだ少年に、ゲオルグは複雑な様子で口元に笑みを浮かべた。
 
 

 * * *
 
 

「カナタは帰ったのか?」
「えぇ、つい今しがた瞬きの手鏡で」
 どうぞ、と紅茶を差し出しながら答える。
「トラン出身の兵が多数こちらに帰還しているので、何かと人手が足りないのでしょう」
「本来ならば軍主まで城を離れるわけにはいかない、か。―――…ふむ。後で改めて礼を言っておかねばならんな。転移の魔法を使うあの少女と共に」
 そう言って紅茶で喉を潤すと、ゲオルグは向かいに座るユリウスの格好を眺めた。
 金の留め具の他は、夜の闇のように黒い服。彼の漆黒の髪や瞳と相まって、それはさらに深みを増していた。しかしそれでも彼の存在感が消え失せることはなく、逆に高貴な雰囲気すら醸し出している。
「追悼式には顔を見せたのか」
「はい。………あくまで市井の人間として、ではありますが」
「…そうか」
 部屋にまた重い沈黙が流れる。
 扉の向こうから微かに人の気配を感じたが、おそらくこの屋敷の住人だろうとゲオルグは特に気に留めないことにした。 
 ゲオルグがこうしてマクドール邸を訪れるのは、もう14年ぶりになる。昔はよく立ち寄って、遠征に出た父の帰還を待ち侘びるユリウスを可愛がってやっていたものだ。幼いユリウスもまるで彼が父であるかのように懐き、それを実父が羨むことさえあった。
 そんなゲオルグとの再会は、ユリウスにとって、本来ならば手放しで喜ぶべきものであるのに。今、彼の胸の奥に刺すような鋭い痛みが走っているのは、変えようのない事実が彼らの前に存在するから。
「―――…何もお聞きにならないのですね」
 先に沈黙を破ったのは、ユリウスの方だった。
「貴方は知っているのでしょう?父を討ち、赤月帝国を滅ぼした張本人が私であると」
「あぁ」
「………父は貴方の親友で、陛下と帝国は貴方がかつて忠誠を誓った象徴。それを奪った私を、憎いとは思われないのですか」
「憎んで欲しいのか?」
「―ッ」
 今まで抑揚なく言葉を紡いでいた唇が歪められる。ユリウスは僅かに顔を俯けて、乱れる心を必死に咎めた。

 自分には苦しむ資格も、傷つく資格もない。
 ―――…いや、あってはならない。

「………」
 ユリウスの顔から表情が消える。
 背筋はぴんと立てられて堂々とした様であるのに、ひどく儚く見えるのは何故だろうか。それはまるで裁かれることを待ち望んでいる、罪人のようで。黒い正装に身を包んだ彼の背後に、死神が見えた気がした。
 ゲオルグは目を伏せ、低く、静かに口を開いた。
「戦争というものは……何が正義で、何が悪なのかも分からず、簡単に人を狂わせる。それはいつの世も同じことだ」
 その胸に飛来するのは、これまでくぐり抜けてきた数々の死戦。
「それぞれが己の信じる道を選び取り、邁進するのみ。そしてその道すべてが交わることは、決して有り得ない」
「………」
「テオも……そしてお前も、己が正しいと信じた道を進んだのだろう?」
「!」
 
 『お前は………お前の信じるもののために生きるがよい………。それが何であろうと……私はお前の選択を、祝福する…………』

 最期に満足そうに笑った父の顔が、脳裏に蘇る。
 自分が解放軍を率いたのは、真の紋章や運命に定められたからではない。
 自らの意志で決め、選び取り、そして最後までそれを貫き通すことを誓ったからだ。
 父はそんな自分を認めてくれたのだ。
 一人の武人として、男として。

 ユリウスは漆黒の瞳に強い光を宿し、迷うことなくゲオルグを見据えた。そして何者をも寄せつけない、力強い声で彼に答える。
「――はい」
「それならば、俺から言うことは何もない」
 ふっ、と微笑んで。逞しい右手が柔らかい黒髪を撫でる。
 その手はとても大きく、とても温かくて。
 幼い時分を思い出し、ユリウスの心がほんの少しだけ満たされる。
「貴方はあの頃と変わっていませんね。…………しかし私は変わってしまった」
「あぁ、そうだな」
 短く淡々としたその声に胸がちくりとして、思わず目を細めた時だった。
「大きくなった」
「っ…!」
 まっすぐに向けられた優しい眼差しに、ユリウスは瞠目する。
「それから、そのやたら畏まった口調もな」
「え…」
「そんな風にお前に話されると、どうにもこの辺りがむず痒くていかん」
 ゲオルグがそう言ってぽりぽりと困ったように首の横を掻いた。それがたまらなく可笑しくて。
「…っ、あはは。ほんとにちっとも変わってないんですね」
 今まで強張っていた肩の力を抜いて、ユリウスが目尻に涙すら浮かべて笑い声を上げた。
 そういえば心の底から笑ったのは、今日はこれが初めてかもしれない。そんなことを思いながらゲオルグの方に視線をやると、彼は信じられないものでも見るように目を丸くしていた。
が笑ったのが、そんなに珍しい?」
 意地悪く首を傾けると、ゲオルグの顔が一瞬きょとんとなった後、参ったという苦笑に変わり。テーブルの向こうから身を乗り出して、ユリウスの首に腕を回した。
「本当に大きくなって……見違えたぞ。―――久しぶりだな、ユリウス」
 嬉しそうに繰り返された言葉の真意が分かり、目許が自然と綻ぶ。
「はい。お久しぶりです、ゲオルグ殿」
 普段と変わらぬ声音で答えると、ユリウスは心なしか幼く微笑んだのだった。
 
 
 
  END