まったく独ぼっちで踊り始めたのだが
30過ぎて本格的に踊りに対して学びはじめた頃から
身体は私の家だと教えられ続けている。
私の身体は私の家。。。
私の感情は私の家。
私の思想は私の家。。。
私だけの家。。。
ジャングルの中の生活にはまり込んで、帰ってきた時はだいぶカルチャーショックだったという。すごい勇気だと思う。そのとき知り合った人と結婚したが、その男性もまた白人社会に慣れなくてだいぶ苦労している。
一時期、彼はジャングルガイドとして私達のプロジェクトに参加していた。たしかにジャングルを見る目はあり頼もしかったが根本的に仕事という概念がちがい頼りにならないので他のガイドを使うようになった。
私達は常に自分の文化から来る数々のコンセプトを当たり前だと考えている。他の文化に接近する機会は自分自身の文化を客観的に見れる絶好のシチュエーションだが、ヤノマミ族をみるとあまりの違いに驚く。
人間なら当たり前だと思っている概念が彼らにはないと気づいたとき私は真剣に果たして人間らしさとは何かと考え始めた。
ある部落がどれぐらい白人と交流してきたか知るのには誰かに名前をきけばいいと聞いた。もしその人が自分の名前を言えればもうだいぶ白人文化が入り込んでる証拠だと。
オリジナルなヤノマミ社会では自分自身の名前を使わない。もしだれかの名前を知りたかったら他の人に聞かなければいけない。みんな他人の名前を言うことができるが自分自身の名前はいえない。
それはヤノマミの文化では自我というコンセプトの重要性がないからだ。自分の認識、感情、意思、行為を他人と区別しない。自我より他我のほうが強いとなる。
もっと深く考えると自我がない訳ではなく自我の単位の違いである。彼らの自我はコミュニティのレベルなわけで個人単位では決してない。
だからぜったいに一人にならない。一人で食事することもできない。しないのではなく出来ないのだ。例の友達はなにか仕事で旅行しなければならない時近所の人に旦那さんといっしょに食べるように頼むといった。そうしないと彼女が帰って来るまで何も食べないそうだ。