ジャングルの中にハンモックをつって寝る。
あれだけは馴染めなかった。
私は何時もテントを張った。
考えてみたら
テントなんか
ジャングルの中では安全とは言えない。
クモやサソリヤ蛇から守られるかもしれないが。。
でも
何故か
テントの中では安心して眠れる。。
テントも『家』のコンセプトに入るだろう。
ごく小さな家。。。。
家とは
外と中を区別する境界が存在し
その境界によって安心できる中側があることかもしれない。。。。
若い頃は随分無鉄砲で
色々怖い体験もしたが
今でも思いだすたびに肌が泡立つような体験がある。
オカルト的なことは何もなく
ただ独ぼっちで過ごすテントの中で
自分の想像に怯えただけだったが。。。
無鉄砲なトレッキングでジャングルに迷い
ようやく山道を見つけた時
ある少年が行方不明と聞いた。
私達のグループは目的地に着くのは不可能だと判断し
帰り道の途中、キャンプした夜の話だ。。。。
。。。。。。。。。。
帰りは一日でも出来たが、荷物が多かった私達はゆっくり二日かけて帰ることにした。
その日、森林警備隊のパトロールは続き、あの少年がまだ見付かっていないのは明らかだった。
ゆっくり景色を楽しんでいくつもりだったが、心が落ち込んでしまい黙々と歩いた。
その夜、ある滝の近くでテントをはった。
また降り始めた雨と強い風で火をおこす事も出来ず、
冷たい夕食をとったあと、冷えたままの体で寝袋に入った。
まったく不気味な夜だった。
月はなく、真っ暗闇だった。
ジャングルは強い風で吹き荒れ、得体も知れない音で満ちていた。
テントの中、一人ぼっちで闇を見続けた。
巨大なジャングルの中に、ひとりぼっちでいるような錯覚をおこした。
私が恐怖を覚えるシチュエーションのひとつだ。
なにか無限的に大きいものを意識するとき。
たとえば海、泳いでる自分の下にいったいどれだけの海水があるのか。
たとえば滝、膨大な水が落ちるのを見た時。
何ともいえない恐怖を感じる。
遠くでねこ科の動物の鳴き声がした。まるで人間が叫びのような。
突然行方不明の少年について考えた。
もうすでに三日目。。。
この寒さの中でどう過ごしているのだろう。。。
いま何処にいるのだろ、
どんなに恐ろしい思いをしているのだろう
心細く泣いているだろうか
怪我をしているのだろうか
死んでいるかもしれない。
ふとそんな考えが横切った。
死んでいるかもしれない。
彼の魂はジャングルの上を飛んでいるのだろうか。
泣き叫びながら。
このテントの見つめているかもしれない。
しゃがみ込んで。。。
そう考えてしまった瞬間
私の枕元のすぐ近くにしゃがみ込む少年の霊を感じるような気がした
薄いテントの生地の向こうに。。。
ぞっとした。
長い夜だった。寝付くまでどの位たったのだろう。
恐怖をむりやり追い出し考えた。
ありがたい。
私はこう無事でテントのなかにいる。。。
寒い夜に寝袋の中に居る。
迷ってしまったけれど、なんとか無事に家に帰れる。
そして
無神主義な私が手を組み本気で祈っていた。
神様、誓います。
神様、もうこの様な無鉄砲な行動をするのは誓ってやめます。
もう、けっして自然をみくびることはしません。
ただ今夜は私を守って下さい。。。
テントの中に入り込む柔らかな朝日で目を覚ました。。。
滝の音。。。
硬く凝った身体を少しづつ解しながら寝袋からでて
テントのジッパーを開ける。
雨に濡れたジャングルの匂いと
騒がしい小鳥の泣き声。
グループの連中はすでに起きていて
コーヒーをいれている。
ああ、生きている。
そう感じてたら笑いがこみ上げてきた。
有り難う。神様。
昨夜の誓いけっして忘れません。
あの誓いは今でも守っている。
考えてみたら
あのかよわいテントの布を境界と信じて
安らかに寝る事が出来るということは全くの矛盾だ。
しかし
果たして
『家』とはどれだけ安全なのだろう。
ブラジル的な感覚では
実に日本やアメリカの住宅は安全性に掛けていると思う。
鉄の窓格子がない家なんかは私にとって安心して眠ることは出来ないと思う。
しかし、それもただの信仰だと思う。
この人生、安全なものはただ一つないのだ。
人生、実に全てが危険で一杯で
絶対的に安全だと信じ込む事は
まったく根拠のない想像だ。。。
何故ならば
生きる事自体とてつもないリスクを伴い
私たち皆、一秒一秒手探りで生きているから。。。
安全だ、心地よいと感じるのは
妄想に過ぎない。。。
ただ
戦い続けるには
安らぎが大切だから
私たちは『家』を造り上げ
壁を想像する。。。
そしてあの冒険は無事に終わった。
行方不明だった少年は次の日、無事に見付かったそうだ。