最近Kindleを購入したんです。
残念ながら日本の本は著者権の関係で購入出来ないのですが。。。
アマチュア的に小説を書いて
売りにだしている人も沢山あることをみつけだして。。。
それに挑戦する事にきめました。。。
小説に対して
いままで実に沢山の試みがありますが
最近気に入っているのは
このテーマ。
大きな家,小さな家。
物理的な家だけではなく
心理的な『家』も。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。
私が子供達を育てた家は
ごくチッコイ家だった。
あまりにも小さく
プライバシーもまったく無理だった家。。。
今でも
目をつぶると
あの頃のキッチンを思い出す。。。
長女が大学入試に備えて勉強していた頃を。。
キッチンテーブルでもくもくと勉強する長女。。。
同じテーブルでパンを捏ねる私。。。
長女は高校まで、州立の学校へ通った。
ブラジルでは競争率の高い国立や州立大学に入るために、教育レベルが高い私立学校に通う。
つまり国立、あるいは州立大学には、私立学校で教育を受けた裕福な生徒のみ入学できるという矛盾な制度になっている。
私達夫婦は国立大学だったので、娘たちもぜひ国立へと思っていたのだが、
なにしろ貧乏学生活が続き (ふたりの修士号、博士号、全部で十年以上続いてしまった)
とうとう高校まで私立学校は通わすことが出来なかった。
絵の好きな長女は美術を専攻と決めていたので
まあ競争率もあまり高くないコースだし大丈夫だろうと高を括っていた。
専攻を映画に変えたのは高校三年生のときだった、
大変なことになったと思った。
映画ブームに影響されて人気があるコースだった。
しかも第一志望がサンパウロ大学、
サンパウロ大学のコミュニケーション学部というと競争率が50倍近く、
医大の続いての競争率だった。
とにかく一年間予備校に通い、やってみようよ。
そう決まったのだが、
あの年はまったく大変な一年になった。
長女はがむしゃらに
毎日8時間の勉強を始めた。
しかし、基礎がなっていなかった。
私に似た頑固な性格だ。
おまけに短気で感情が激しい。
毎日のように
‘解らない。
とヒステリーを起こし、怒り狂い、泣きじゃくり、絶望した。
私は毎日のように
機嫌をとり、宥め、励まし、テキストを読み、一緒に考えた。
職業柄、生物学や科学は割合と理解ができたが、数学、物理、歴史 また勉強し直した。
30年ぶりに見るものばかりだった。
あの頃、私は失業中で、家で専門主婦としてやっていた。
主人はいくつかの私立大学で教えるのに、毎日のように車であちこちの町を走り回り
私は出来るだけの節約にやりくりの毎日だった。
パンまで家で焼いた。
いつもキッチンにいる私の傍で長女がいた。
「解らない」と涙ぐむ度に
小麦粉だらけの手でテキストを汚し、
エプロンで手を拭き鉛筆をにぎり、物理や数学に挑んだ。
キッチンテーブルで勉強する長女の姿が目に浮かぶ。
寒い冬の午後、
長女は穴を開けた毛布をポンチョのように頭からかぶり、
もくもく勉強している。
毛布はガールスカウトの活動でキャンプのとき使うもので、
暖かいからと冬中被っていた
それと怪獣の足の形の部屋靴(怪獣スリッパ)。
「ママェ、これが私の勉強のユニホームなんだ」 と言っていた。
いくらヒステリーを起こしても怒る顔はまだ幼く、
いったいこの子は一人で都会暮らしが出来るのだろうかと心配した。
私のあの頃の暮らしは、第一に母であること、主婦であること
そしてインターネットを使った求職活動だった。
そして、あの年の五月のある日、ひとつのメールをもらった。
アマゾンで研究をする博士を募集しているという内容だった。
北部では足りない研究者を南部から連れ出そうという政府のプロジェクトで、
選ばれた博士は三年間の就学金、および2万ドルの研究資金が政府から出るとのこと。
これだと思った。就学金はたいした額ではなかったが、もし夫婦で選ばれたら何とかなる。
私は必死でプロジェクトを書き、書類を集め候補の準備をした。
今でも、あの頃を思い出すと胸が一杯になる。
あれからアマゾニアへ渡り長い月日が過ぎた。。
あのチッコイ家は今まで住んだ数々の家の中で
もっとも愛おしい思い出のある家だ。。。
15年間住んだ家。。。
もっと、もっと語らなくてはならないだろう。。。