インターネットと手紙 | サバンナとバレエと

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ブラジルからの便り

近頃あまりブログの更新できない事情は
あまりPCの前に座っていられない。。。

前は暇あれば座っていたのですが
他の事に興味覚え始めて。。。

まあ、いい傾向ではないかなーと思います。
実は私は携帯のWhats up (ブラジルのLINE番かな?)さえ使ってないんです。
携帯さえ忘れる、無くす、充電できない。。。
連絡に大切なケースもある事は十分分かっているのですが
何か私の中で拒絶反応をおこす。。。


私は電話嫌いです。
人の顔を見ないで話すことはもの凄く苦手。。。
家の電話は必要によってなんとかこなしているのですが
何処にいても何時でも掛かって来るかも知れない電話は嫌。
携帯を持っているとその可能性がフリーになるので
無意識に携帯を無くすのかも。。。


。。。。。


昔風な暮らし。。。
時々憧れます。


たとえば
手紙。。。

ペンを持ち
書いた手紙。。。


そのプロセスは

親しい人を想う。

想いをある程度まで整理する
(手書きで書かなければならないので貴重な手順)

書き始める
(時にはその前に書くための便箋を選んだりする)
一言一言丁寧に心をこめて。
その後、場合によって便箋に香水を忍ばせる。


一体送るべきかどうかと迷う。

5
ポストへ (ブラジルの場合は郵便局へ)。。。




手紙を受けとることは
なんて強烈な体験だったか。。
読むのが怖くて開封できなかった手紙もある。




最近FBで見て笑ったジョーク。
呼気中のアルコール濃度センサー付きの携帯。
はっは、確かに酔っていたらメッセージはブロックしてほしい。
心の事を語るのには
ある程度の責任が必要だから。。。




。。。。。。。。。。。。。

そのように受け取った数々の美しい手紙の数々。

もっとも心に残るのは
大学に入って数ヶ月後に届いた手紙。。。




あの頃のリオの田舎町の農業大学
郵便配達もなく
町のただひとつの郵便局は大学のキャンバスの中にあった。
定期的にそこへ通って自分に何かが届いているか確認しなければならなかった。

インターネットもなかった時代
電話さえ町に数箇所しかなかった。
大学とただひとつのスーパーマーケット。
町全体がただひとつの電話番号で外とつながっていた。
両親に電話を掛けるたび
電話局の列に並んだ
そして待つ間、たった一つの受話器で話す人たちのドラマを聞いて過ごした。
80年代の初めの話だ。




あの午後、私達は連休にリオの田舎の農場へ。。
5人、ワーゲンに乗って出かける計画。

町のただひとつの郵便局は大学のキャンバスの中にあった。
定期的にそこへ通って自分に何かが届いているか確認しなければならなかった。。。。



週末前に念のため訪れた郵便局には
思いもしない人の手紙が私をまっていた。

高校時代の親友。
新しい現実に挑むことを決心して
リオへ移ってから懐かしくってしょうがなかったけれど
連絡が絶えていた人。

ちょっと変人だった彼が普通のプロセスで手紙を送って来るなんて
まったく無理な事は理解していた。
大切な大切な友達。。。
どれだけ懐かしく感じていただろう。。。。


懐かしいまるっこい字で書いた手紙はこうあった。。

‘この手紙がいったい、いつ君の手に着くことになるのかまったく見当がつかない。
まず、これから君の居所を知っている人を探し出さなければならない。
それから君の住所がどれだけ僕を喜ばせるものだか伝えなければならない、
ピエロのように踊って見せる事になるかも。
でもこの手紙は今日、今、書かなければならなかったんだよ。
君はいったい何処のいるのだろう、何処を歩き、何を見てきたのだろう、
君の髪物語は、どうなっているのだろう。


僕は今晩、今日見た夕日への感動について考えている。
ぜひきみに語りたかったんだ。。


僕は今日初めて夕日が叫ぶのを聞いたんだよ。

そして突然、同じように感動したコオロギたちの合唱
金色の草原に響いていた。
そして
オレンジ色から薄紫のグラデーション。

今までぼくは夕日が笑い転げたり
内緒話をするのを聞いたことがあった
でも
今日は叫んでいたんだよ
圧倒的に。。。。




。。。。。。。。

数年前まではあの手紙を大事に仕舞ってはずだ。
いつか無くしてしまった。
あのまるっこい字はもうみられないけれど
幸いにもあの文章は心に残った。