今回は長いですよー!!!
そしてネタバレもあります!
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今週一杯、ダンナさん出張。
普段のこまごまな世話が無いので
やれやれと感じているのだが。。。
やっぱりダルブベッドに
一人ぼってで寝るのは寂しい。。。
昨晩、中々寝付けなく
遅くまでテレビ観ていた。
久しぶりに考えさせられた映画。
トッド・フィールド監督の「リトル チルドレン」。
あらすじ
アメリカ、ボストン郊外の閑静な住宅街ウッドワード・コート。成功したビジネスマンの夫リチャードと3歳になる娘ルーシーと共にここへ引っ越してきた専業主婦のサラ・ピアース。
さっそく娘を連れて公園デビューに挑むが、郊外の典型的な主婦の集団に肌が合わず違和感を拭えない。そんな主婦たちの目下の話題は、彼女たちが“プロム・キング”と呼ぶ、学園の人気者タイプの男性のこと。彼の名はブラッド・アダムソン。ドキュメンタリー作家として成功したキャシーを妻に持ち、主夫をしながら司法試験合格を目指していた。サラはちょっとしたイタズラのつもりで、公園に現われたブラッドとハグをしてキスを交わす。軽いお遊びのつもりが、やがてお互いのことが心の中を大きく占めるようになってしまう。
そんな中、性犯罪で服役していたロニー・マゴーヴィーが街に戻ってきたことで、街はにわかに騒然となっていく。 ウィキペデェア参照。
始めのほうはちょっとよく出来た
不倫ストーリみたいな感じだった。
でも、途中で
小説「ボヴァーリ婦人」について語られるシーンから
あれっ?と思った。
主婦たちの読書会に参加するサラ。
「ただの不倫小説だ、主人公のエマはただのビッチ」と叩く主婦に対して
彼女はこう返す。
「学生のときに読んだときは私もそう思った。
私もエマがただ愚かな女性に見えて嫌いだった。
でも今読み返すと、これは主人公の「別の人生への渇望」を理解できる。
彼女はただ生きる証をさがしていただけ。
ある意味ではフェミニストだと思う。」
。。。。。。。。。。。。。
私が最初に「ボヴァリー夫人」を読んだのは15位の頃だったと思う。
あんな小説を理解するのには、あまりにも若かった頃だが
活字が好きだった私は
両親の「世界文学全集」を手当たり次第、読んでいた。
あれから二十歳頃まで
何回か読んだのだが
私も主人公のエマが大嫌いだった。
何故嫌いだったのに読み返したのだろう?
フローベルの
写実主義文学独特な
精緻な客観描写や心理描写、多視点的な構成が
面白かったし
大学受験勉強の頃、
文学歴史のなかで大切な作品だと知り
読みなおしたのも覚えている。
読み返すたびにエマの行動に呆れ返り
行いの代償にがんじがらめになる様子に憤慨し
今回だけはストーリが変わってほしいと思った。
自分を滅ぼすのは自業自得だけど
家族を不幸にするのは許せないと思ったのを覚えている。
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昨夜、読み直してみたいなと思った。
30年もたてば
人生観、女性観、大分変わる。
新しい視感で読み直したみたいと。。。
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「違う人生への渇望」
について深い理解ができるようになったのは
ごく最近だと思う。
それは
ただ不倫や離婚、フェミニズムや出世願望などについての話ではなく
もっと深い意味で。。。
己の人世に不満をもち
それを変えようと努力するのは尊いことだ。
そのプロセスの中に他人を巻き込んでしまうこともある。
要するに
「思いやり」や「優しさ」は
自分自身を救い出して、初めて得られる感情だから。。。
しかし
生き方を変えても
必ずしも救われるわけでは無いのだ。
「違う人生への渇望」の底に
一体、何があるか理解しなければ。。。
私は
「違う人生への渇望」の底には
「生きているという実感への渇望」があると思う。
人は皆、生きているのに関わらず
その実感を失ってしまう。
そして感性が死んでいく。
ふたたび「生きている」と感じたいために
別の生き方を欲する。
しかし
現在、生きることへの感性を養わなかったら
所詮、環境を変えただけで得られるものでは無いのだ。
話が飛躍して申し訳ないのだが。。。
私が昔、
危険を承知でやっていた登山。。。
あれは頂上へついた時感じる
たった一瞬の驚喜が目的だった。
「ああ、生きている」と感じる一瞬。。。
恐怖感を制服したあとは
2週間ほどの興奮状態が続く。。。
自信に満ちて、生きていることの尊さに酔い。。。
今でも好きだが
あえて危険を犯してまでもしたいと思わなくなった。
「生きている」という実感は
毎日、
今、
ここで
感じるように感性を育てるほうが大切だと思う。
それが無かったら
結婚も、不倫も、離婚も、転職も、
新しい土地に住んでも、
山に登っても
全てが無意味なのだ。
短い興奮の時期が過ぎたら
また、前の不満一杯の生活に戻る。。。
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映画のサラは
そんなことに気付き
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小説のエマは
自分の行いの代償が耐えられなく
自殺する。
初めて気がついた。
エマの人世は
彼女の行いによって滅びたのではない。
彼女の過ちは
「生きているという実感への渇望」への努力を
諦めてしまったこと。。。
あまりにも若いのにも関わらず。。。
あるいは
あまりにも若かったから。。。
昔の私にとって
エマは随分、年上だった。
今は随分年下。。。
嫌いだったエマが
哀れだと思い始めた。。。