体は道具 | サバンナとバレエと

サバンナとバレエと

ブラジルからの便り

友達との会話。


「私が踊リ初めてよかったなーと思うのは手を持て余すことがなくなったんだー

昔はね、 飲み屋のテーブルに座って手を持て余して

いったい何をしたらいいのか分からなくて

タバコばかり吸っていたんだ」 と私。


「私はいったい私の手をどこに置いたらいいか

何をしたらいいのかぜんぜん分からないよ。

この歳になってもね」

と彼女。


そうか

私だけの問題だと思っていたがそう感じる人もいるんだ。

そう思った。



踊っていてよかったなーと思うことは

仕草が自然になったこと。

素直に対応してくれる体。


ちなみに毎週金曜日の稽古の後は

ダンサーたちとレオタードのままで

飲みにいくのだが

私たちのテーブルは凄く楽しい。

体一杯使って表現する。

顔の表情も豊かで面白い。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


触ることによって気分が悪く意識しない部分もあった。

たとえば首。

マッサージなどはぜんぜん出来なかった。

なんて変わったのかと思う。


ただ踊ることだけで体の意識が発達するわけではない。

とくにクラッシク バレリーナ

体の癖だらけの人たちを沢山しっている。

才能に恵まれていても怪我をし20ちょっとで踊ることを断念するバレリーナたち。。。。


私が恵まれた環境で踊れたのは

体の意識を大切にし

ただ踊るためだけではなく

体を認識するために踊る。。。

そういった恵まれた環境で踊りつずけることが出来た。

ちなみに私達が踊るスタジオには骸骨があり

踊りながら全ての骨や筋肉の構造を学んだ。



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


若い頃は空手初段だったダンナさん。

近頃怪我が多い。

三度の飯よりサッカーが好きなのに

怪我で月の半分はプレイできない。

体の意識に欠けているのだろう。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


アマゾンへ移って長年踊っていたコンテンポラリーをやめ

クラッシク・バレエを始めた。

この小さな町でコンテンポラリーを踊る機会はまるでなかった。

そして

ポアント(トゥシューズ)を履いて踊るようになったとき

昔の仲間が呆れかえっていた。


足の五本の指を使って踊るコンテンポラリーに対して

足の指を縛り付けて踊るポアントは

中世の拷問に似たものと解釈されている。

ポアントを初めて履いたとき

つま先で立てるところか

普通に歩くことも出来なかった。


それでもやってみようと思った。

50近くで初めてのポアント。

自分の体の認識でどれだけ出来るか試してみようと思った。

ポアント暦4年。

怪我をしたことは無い。

バレリーナのように踊れないけど

ポアントを履いてサンバは踊れる。。。あはは。



。。。。。。。。。。。。。。。。。。


体を知ること。

素晴らしいことだと思う。


私は踊ることによって

無数の筋肉の状態

骨のラインを感じることが出来る。

そして

体の異常はだいたい理解し

解決することが出来る。


。。。。。。。。。。。。


そして

私達の体は

生きていくための道具だと思う。

あるいは

乗り物

すばやく反応する乗り物。。。




たとえば


私の車はダンナさんの車より馬力が高いのだが

それに慣れた私は

ダンナさんの車を運転するたびいらいらする。

なにか反応しない。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



体は乗り物だ。

生きていくための乗り物。

でも

優秀であれば

あるほど

生きがいのある人生を可能にすることができる道具ではないか。


私自身が体であることは信じられない。

同じように

私は頭脳でもないし

感情でもない。


体も

頭脳も

感情も

生きていくことに対して必要な道具だと思う。。。


そして私は

体でも頭脳でも感情でもなくて

それらを使い生きていく何かであるはずだ。。。¥