親友のFちゃん(彼女についてはこちら
)。
彼女はリオ・ブランコ川に面したアパートに住んでいて
川とジャングルが見える恵まれたベランダがある。
仲間が集まって飲みながら好きな音楽を聴き
盛り上がるとミュージシャン達が弾きまくる。
月とジャングルと穏やかに流れる巨大な川の水面を見ながらのパーティ
いつも魂が洗われるような感じがする。
そんな一夜
なんか飲みすぎたなと感じてトイレにいって
その後、Fちゃんのソファーに寝てしまい
目覚めたらすでに朝だった。
まだアパートの住民はまだ静かに寝ている時刻。
できるだけ音をたてないようにパーティの後始末をし
FちゃんとV君が起きてきたら
朝ごはんを食べて家に帰った。
優しいFちゃんは新鮮なアマゾンフルーツのジュースを作り
ベネズエラから持ってきたとうもろこしの粉をねって
アレッパと呼ばれる素朴なパンを焼いた
朝日に輝く川を見ながら静かに
微笑みのみの朝食。
その後
運転しながら
Fちゃんの心遣いに
心も体も満たされているって感じた。
次の日Fちゃんとビリーダンスのレッスンの後
ココナッツ水でも飲もうよと
川傍にある店のテーブルに座った。
そしてFちゃんはあの夜
私が寝てしまったあとに起きた奇妙な体験について話した。
「あの夜にね、エシューが降りて来たんだ。」
エシューとはブラジル・アフロの神々で
カトリック信仰の教えとは違い
神であっても人間的な感情をもっていると信じられている
神であっても
妬みとか
嫉妬とかの感情をもつ
プリミティブな存在
とにかくアフリカ文化的だと思う
ちなみに日本文化にもインデェオ文化にも似ていると思う。
エシューは人間が何かの感情に迷っているとき
空間から降りてくる
そして好む感情を見つけたとき
憑く。。。
感情に奥深く潜り込むための
黒い天使だ。
いくら素晴らしい環境に住んでいても
非常に密着した生活をしているアパートの住民達には
色々あるのだろう。
Fちゃんが語った色々な出来事。
皆普段言えないことを突然吐き出して
パーティはめちゃくちゃな感じで終わったそうだ。
「あなたが寝ちゃったのもねエシューの計らいだと思う。全然関係ない存在だったからね」
驚いた。
「ねぇ。 エシューが降りてくるって悪いことなの?」ってFちゃんに訊いたら
「良いことだよ。もちろん。エシューはね
何か間違ったことが起きているって私達に実感させるために来る天子なんだよ」
Fちゃんの笑顔は何か魅せられるものがある
とてつもなく若いのに関わらず
悟った笑顔
いったいこの子は
すでに悟って生まれてきたのかと思うほど。。。。
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エシューが近くにいると感じたことはある。
怒りに
ねたみに
嵌っていく感じ。
実は私は両親と
よい関係を持つことが出来ないのだが、そのことでエシューを実際見たことがある。
とりとめも無く両親への不満を思いながら食器を洗っていたとき
ふっと
横を見たら
いた。
肌に感じるほど近く
すぐ隣に
目線を離したら消えた
でも
存在感は残った。
とにかく黄色い姿だと覚えている
ぞぉーとした。
その後、悟った。
私の中にはどんな感情も存在すること
しかし
膨らむ感情は
養う感情だと
養わなければ大きくならない
養えば大きくなる。
ねたみも
悲しさも
怒りも
嫉妬も
幸せに暮らしたいのならば
養うべきではない感情だ。
感じるのは悪くはない
感じるのはごく自然なことだと思う。
しかし自然に訪れて自然に消えてしまえばいいのだ。
思考は感情を養う餌のようなもので
考えれば考えるほどその感情は育っていく。
それをエシューが嗅ぎ付け降りてくるらしい。
それから決めた
養いたくない感情がきたら
ほかのことを考えること。
心をよいことで満たすこと。
幸せを感じること。
私にとってたしかにエシューは天使だった。だけど再会はいやだ。