次女との初めての出会い
泣いていた
次の出会い
笑っていた
あまりにも小さな赤ちゃんが笑い転げるので
おっぱいをあげる前に
ベッドの上に置いて写真を撮った。
比較にボールペンを横に置いて。
今でもある写真。ちっこい、ちっこいのに一生懸命笑ってる。
手に負えない赤ちゃんだった
はじめて歩いたのは6ヶ月3週間目。
7ヶ月前に歩いた子供は未だに彼女だけしか知らない。
そして
とにかく小さかった次女。
4ヶ月位の赤ちゃんに見えた。
小さくて小さくて歩きまわる
登る。下る。飛び超える。
保育園へ迎えにいくと
ジャングルジムで遊ぶ次女の姿をまともに見ていられなかった
反対に彼女の活発さになれた保母さんたちが
「大丈夫。大丈夫」と私の肩を叩いた。
5歳位から近所を歩き回っていた。
サンパウロの田舎に住んでいた頃
近所はまったく平和だった。
彼女の友達は
近くのマーケットのレジの女の子。
裏のおばあちゃん。
時々通る乞食。
野菜を売りに来るおじさん。
誰にも何でも話し
家で起こることは全て筒抜けだったらしい(笑)。
父が訪れたとき
「おじいちゃん、私日本人の友達がいるんだ。 後で紹介するからね。」
そして次の日
「おじいちゃん、おじいちゃん、私の友達門にいるよ。来て」
小さな日系人の男の子を期待して出て行った父が見たのは
50位の日系おっさんの右手を握って笑っている次女。
おっさんの左手には大きなオレンジの袋。
トラックでオレンジを売るおじさんだった。
ちなみに通るたびに塀の上の座っている次女と言葉を交わし
オレンジひとつ手渡していたらしい。
アマゾンへ移ることが決まったとき
実に沢山の人が家に訪れた。
遠くへ行くって本当ですか。。
お宅のお嬢ちゃん実は大好きで。。。
本当に行ってしまうのですか。。。
涙ぐむお年寄りをみて
驚いた。
まったく活発な子で
幼稚園
小学校一年
学校から呼び出されるたび
笑って過ごした
「活発すぎます」
「子供だから」
「座っていられません」
「想像つきます、お手数かけますけど見守ってくださったらそれで良いとおもいます」
何かが間違っていると気づいたのは
二年生の6ヶ月目
たった6ヶ月で
活発過ぎる子から
何にもまったく反応しない子に変わっていた。
そして学校から連絡
00ちゃんは朝ついてからお昼まで机に突っ伏し顔を上げません。
途方に暮れた。
そして何が起きたというと
イジメだった
しかも
イジメの張本人は担任の先生だった
その先生は次女に
何もしない00ちゃん
怠け者の00ちゃん
何もしないのは怠け者だから。。。
とあだを着けていた。
あれだけ活発な子が
授業中4時間机に突っ伏して過ごしているとは
本気でその担任を殺してやりたい気持ちだった。
未だに涙なしでは語れない。。。
そして
その頃
初めて
次女は注意欠陥多動性障害をもつことを知った。
そして
その障害は遺伝的なこと
そして
私もダンナさんもその障害をもつこと
私たちの幼年時代の苦しみはこの障害のためだったこと
近頃は障害ではなくパーソナリティの一種だと開き直ってる。
何故私もダンナさんも注意欠陥多動性障害をもつのかというと
決して偶然ではなく
特殊な感じ方のアイデンティティーだそうだ。
私の友達の中でも実に多い。
なんかスペシャルなグループのような感じする。
現在
私の考えでは
注意欠陥多動性障害は
特殊は能力を持ったもの
次女の場合は
彼女が彼女の能力を発揮させることが出来
それによって大切にされてほしい
そして
その第一歩は
自分の可能性を信じて欲しい
私達
毎日
言い聞かせます
まるでマントラのように
彼女はどれだけ素晴らしいか
どれだけ愛されているか。。。。
いたずらっ子だった次女。
