青春時代、チェスを学んだ。
その頃チェス好きな彼氏がいて
初めて真剣に勉強してみようと思った。
ボビー・フィッシャーのチェス入門なんて本で始めた。
結局この情熱はあまり長い間続かなく (両方とも、チェスへも彼氏へも)
オーペニングより先へ行けなっかたけど
その時
初めてチェスの魅力を理解した。
ルールの中に言葉がありコミュニケーションがある。
そして
ルールがあることにより第三者にも理解できるコミュニケーションが存在する。
どんな試合でも
私が理解できる可能性があり
それを信じることが出来たとき
そこには、まったく新しい世界があった。
私達ふたりは
一緒に世界のチャンピオン達の試合を分析し
そこにある賢さと美しさに酔った。
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ルールとコミュニケーション。
チェスのように、まったく厳しく整ったルールの中でさえ
コミュニケーションは可能だ
伝えることができる
自分の賢さ、感性、想像能力、美的感覚。。。
その美しさに没頭していた。
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あれからチェスなんてもう興味もないし
試合を分析するなんて遠い昔のものだ
しかし
コミュニケーションの性質についてはいつも考えさせられる
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今日は久しぶりにダンナさんと喧嘩になった
だいたい25年間の結婚生活、
喧嘩の内容はいつも同じだ
相手に自分の考え、感情を伝えることが出来ないもどかしさ
相手の考え、感情を受けいられない未熟さ
そして
夫婦の間にまったく無意識に作りだされたパターンとルール
それにとりこになり
それから逃げ出すことが無理なように感じる。
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日本へ留学したのは
29歳のときだった
女の子から女性への変わり目位、
そして一人ぼっちで
ひたすら自分自身について考え続ける一年間だった
一人ぼっちで
自分が理解できなくどうしようもないとき
小さなアパートから逃げ出した。
日曜日
金沢の冬の午後
やりきれない気持ちで外へ出た
ふと見つけた古本屋
がらがらと戸を開くとまったく違った世界があった
裸電球の黄色い光に照らされた本棚
静かに静かに並んでる古本
かじかんだ指をそっとなぞると
暖かさがそっと胸に染み込み慰められた。
いったい、いつからこうだったのだろう
本に慰められる人生
本の匂い、
印刷されたばかりの匂い
あるいは古本の匂い
沢山の人が手にふれて、指紋を残し
その跡に繁殖するカビの匂い。
いったい、どのぐらい慰められ続けたのだろう。
あの日
静かになぞく指の腹にある本をみつけた
‘女ざかりの痛み
森瑶子さんの作品だ
まだ29だった私には
女ざかりなんてとっても遠い現実だったが
それを読んで森さんの絶対的ファンになった。
そしてあの冬、古本屋で彼女の作品をさがしつづけた。
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何故私が彼女の作品を好んだのかは後で話したい。
今日はコミュニケーションについてだけ
何故、森瑶子さんについてここに語るかというと
彼女のイギリス人のご主人は
作家である彼女の作品を理解することは無かったそうだ
国際結婚の難しさ
コミュニケーションの不足
あるいは
コミュニケーションのルールの不足について
彼女はいろいろ語っている。
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森瑶子さんの自伝では
夫婦の間に愛情と尊敬が存在していたのは確かだ
しかし
果たして
彼女の
あれだけの感性とそれを文章において綴ることができる能力を
人生を分かち合うべき相手が理解出来なかったことは
なんと残念で
悲しいことか
何故、夫婦の間で理解しあう努力が足りないのか
何故、夫婦の間で理解しあうためのルールを決めることができないのか
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今日の私たちの喧嘩の後
落ち着いたとき
私が言ったことは
私がなにかを言ったとき
5秒の静けさが欲しい。
何かを答える前に
5秒だけ待って欲しい
5秒だけ心を開いてほしい
無理だろうか。