大学入試とアマゾンと4 | サバンナとバレエと

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ブラジルからの便り


サバンナの霧


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昨日の続きです。


長女が大学に入学した年、私達は彼女をサンパウロに残してアマゾンへ移った。

大学の授業が始まったには2月、私達は3月に呼ばれ

5月31日、午後6時のフライトでサンパウロを立った。


どうしても送りに行くと言った長女

空港で私達を送り出したときのあの表情

忘れることが出来ない。

後ろ髪を引かれる思い。

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私達には

アマゾンへ引越しするような金額は逆立ちになっても無理ものだった。

あの年、とにかく生き延びるために全てを売りはらった。

そして飛行機で運べるだけを持っていくことにした


一人に付き23キロ

次女は半分。


結婚生活20年の歴史を3つのスーツケースに詰めた。

売れるものは全て売った。

食器や鍋までガレージセールで売り払った。

本だけは私の実家に預かってもらったが

それも80パーセントは処分した。



そして私達は見知らぬ土地へ旅立った。

58キロの荷物と500ドルの金額だけをもって。

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国からでる修学金はこちらに着いてから一ヶ月後に入る予定だった。

なんとしても一ヶ月間500ドルで生きなければならなかった。

もちろんホテル住まいは無理だった。

何処か、家賃の安い家を見つけること

そして生きていくのに最低限度のものを買うこと。


私達は家具屋に行って頼み込んだ

今必要なものを購入したいけど

1ヶ月後でしか払えない。


家具やのオーナーは寛大にOkと言った。

「私もこちらに来た頃は大変でしたと。」と


冷蔵庫、ガスレンジ。テーブルセットとマットレスふたつ、扇風機を買った。

そして鍋ふたつ、皿三枚、ナイフとフォークとスプーン三つづつ、買って生活を始めた。


あの家具屋のオーナー、Pさんには本当に有難いと思う。

あれからその家具やの前を車で通るたび

ありがとうと大声で言う。家族の小さな風習になった。

Pさんはついこの前亡くなった。いい人だった。


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借りた家は一部屋で信じられないほど暑かった。

二週間でギブアップ、またPさんで頼んでクーラー、一つ買った。

そして自転車ふたつ。

自転車は嬉しかった。それまでは赤道近くの直射日光を浴びて歩いていた

自転車があまりにも嬉しくて町を走り回った。

あまりにもやりすぎたので急激に痩せ始め、病気になったのかと思った。

そして後でテレビ一台、

あの年はワールドカップだったので。

それが無ければ買ってはいなかったと思う。


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小さくて蒸し暑い家だったが庭だけは大きかった。

大きな空が見えて

夕暮れに空を見上げると沢山のオウムが飛んでいくのが見えた

騒がしく鳴きながら。


奇妙な虫が一杯いた。

イグワナも。

10センチ以上のゴキブリは叩き殺してはならないことを知った

中から白いものがでて床にくっつき、あといくらこすっても取れない。


さそりも大きな蜘蛛も現れた。

そしておびただしい蚊。

マラリアが怖かったのでいくら暑くても窓を開けられなかった。

それでも窓の隙間に沢山死骸がくっついていた。


そんなところで床にマットレス敷いて寝た。


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でも、私達はまったく幸せだった。

生物学を研究するものにはアマゾンは憧れの土地だ。

新しい匂い、新しい感覚、新しい味、新しい色彩。

すべてが未知の世界への入り口だった。

新しく生まれ変わったな気がした


いくら暑苦しいくても、いくら気味悪いものを見ても

いくら食中毒をおこしても

それは憧れ焦がれたアマゾンだった



そして未来は保障されていた。

少なくても三年間、国から奨学金がもらえ研究資金がでて、

好きな仕事が出来ること

それは信じられないほどの幸運だった。


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たったひとつ、心配なこと

長女のことだった。


つづく