長女が夏休みに卒業論文を書くと聞いて
‘ああ、また大変だ。
と思いました。
いつも夏休みには書かねばならないレポートなどあり、
ものを書くのが苦手、プラス完璧主義と最悪の組み合わせをもつ長女は
不機嫌になり、ヒステリーを起こし、苦しみ、怒ったり、泣いたり、家族全員が振り回されていました。
でも、今回は大人しく黙々と書いているのを見て、
‘ああ、成長したんだな。
と感じています。
長女の大学入試のときが思い出されます。。。
今日はあの頃の思い出話について話したいのです。
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長女は高校まで、州立の学校へ通った。
ブラジルでは競争率の高い国立や州立大学に入るために、教育レベルが高い私立学校に通う。
つまり国立、あるいは州立大学には、私立学校で教育を受けた裕福な生徒のみ入学できるという矛盾な制度になっている。
私達夫婦は国立大学だったので、娘たちもぜひ国立へと思っていたのだが、
なにしろ貧乏学生活が続き (ふたりの修士号、博士号、全部で十年以上続いてしまった)
とうとう高校まで私立学校は通わすことが出来なかった。
絵の好きな長女は美術を専攻と決めていたので
まあ競争率もあまり高くないコースだし大丈夫だろうと高を括っていた。
専攻を映画に変えたのは高校三年生のときだった、
大変なことになったと思った。
映画ブームに影響されて人気があるコースだった。
しかも第一志望がサンパウロ大学、
サンパウロ大学のコミュニケーション学部というと競争率が50倍近く、
医大の続いての競争率だった。
とにかく一年間予備校に通い、やってみようよ。
そう決まったのだが、
あの年はまったく大変な一年になった。
長女はがむしゃらに
毎日8時間の勉強を始めた。
しかし、基礎がなっていなかった。
私に似た頑固な性格だ。
おまけに短気で感情が激しい。
毎日のように
‘解らない。
とヒステリーを起こし、怒り狂い、泣きじゃくり、絶望した。
私は毎日のように
機嫌をとり、宥め、励まし、テキストを読み、一緒に考えた。
職業柄、生物学や科学は割合と理解ができたが、数学、物理、歴史 また勉強し直した。
30年ぶりに見るものばかりだった。
あの頃、私は失業中で、家で専門主婦としてやっていた(まえにも書きました、リンク )。
主人はいくつかの私立大学で教えるのに、毎日のように車であちこちの町を走り回り
私は出来るだけの節約にやりくりの毎日だった。
パンまで家で焼いた。
いつもキッチンにいる私の傍で長女がいた。
「解らない」と涙ぐむ度に
小麦粉だらけの手でテキストを汚し、
エプロンで手を拭き鉛筆をにぎり、物理や数学に挑んだ。
キッチンテーブルで勉強する長女の姿が目に浮かぶ。
寒い冬の午後、
長女は穴を開けた毛布をポンチョのように頭からかぶり、
もくもく勉強している。
毛布はガールスカウトの活動でキャンプのとき使うもので、
暖かいからと冬中被っていた
それと怪獣の足の形の部屋靴(怪獣スリッパ)。
「ママェ、これが私の勉強のユニホームなんだ」 と言っていた。
いくらヒステリーを起こしても怒る顔はまだ幼く、
いったいこの子は一人で都会暮らしが出来るのだろうかと心配した。
私のあの頃の暮らしは、第一に母であること、主婦であること
そしてインターネットを使った求職活動だった。
そして、あの年の五月のある日、ひとつのメールをもらった。
アマゾンで研究をする博士を募集しているという内容だった。
北部では足りない研究者を南部から連れ出そうという政府のプロジェクトで、
選ばれた博士は三年間の就学金、および2万ドルの研究資金が政府から出るとのこと。
これだと思った。就学金はたいした額ではなかったが、もし夫婦で選ばれたら何とかなる。
私は必死でプロジェクトを書き、書類を集め候補の準備をした。
そして6月頃、奇跡がおきた。
長女の成績はめきめき良くなり、予備試験で一位、二位を競うほどになった。
田舎の予備校だけど、もしかしら、うまくいくのではないかと思うほどになった。
しかし、とんでもない出来事が起きた。
つづく
卒業論文を書き続ける長女。
