自分のムービメントを信じるということ | サバンナとバレエと

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ブラジルからの便り

うちのダンナさんはサッカー好きで週に三回、プレイに行っているが、

接触の多いスポーツなので年がら年中怪我をしている。

怪我をするたび何週間か休むことになるので、いい加減にもっと安全なスポーツに変えたらと

(たとえば水泳とか)いつも言うのだが、よっぽど好きなのだろう。変える様子はまったくない。



私だったら、なによりも体を動かせないことがいやなので、

怪我をする可能性のあるものを頑固に続ける彼は理解しにくい。


彼に言わすと、あの男の戦いがなんともいえない魅力らしい。


‘僕なんてさ、ただ走るなんてとんでもないな。ボールを前に置いたほうが絶対いい。

ボールなしで走るんなんて考えられないよ。

典型的なブラジル人だ。


しかも体に受ける傷より、心に受ける傷の打撃の.ほうが大きいらしい。

いつもしょげ返っているのを見て、いい年してと呆れかえっている。


勝ち負けが一番のマチョマンの世界だ。

間違いはぜったいに許されない。

繊細な感覚なんて聞いたこともない連中だ。

容赦なくひどいスラングで罵倒されるそうだ。

この野郎!

と思って、がんばっても
一度ミスをしてしまうと、プレイがぜんぜん駄目になるらしい。



でも理解はできる。

たしかにスポーツはダンスと違う要素がある。

前もって、次にするべく動作はまったく分らない。

反射的に適切なプレイをするには、自信があるこそ出来る反応なのだろう。


少しでもひるむと失敗することになるのだろう。

だから、なにかミスをしたときのプレシャーは大きい。

50近くになってまだそのような事に(しつこく)悩む彼だが、分かるような気がする。


自分を信じること。わずか瞬間でも、けっして疑わない強さ。

どこからくるのだろう。

それが欲しいから無理をしてもサッカーをつづけるのでは。



たとえばブラジルのサッカー。

ブラジル人はまったく無邪気な要素をもっていて、自分自信を客観的に批判することはめずらしい。

自分が感じる快感を信じて、自己満足し、自信を作り出す。

それによっての能力は驚異的なものだ。

まったく天才的なプレイは自分に対する絶対的な確信から来るのだろう。


しかし、自分だけを中心にしたエゴセントリックな自信は実にもろい。                                                                                                                                                                                     

ブラジルがワールドカップで見事にまける理由はそこにあると思う。

なにか起きたら自信がもろにくずれる。

たとえば、負け始めたら、信じられない位プレイは最低のものになる。

なにかあったとき、予想以外の事が起きたとき、

果たして自分自身を信じ続けることができるのか。

出来るならば、その自信は何処からくるのだろうか。



サッカーの話が長くなったが

実は私も近頃そんな壁に突きあったっている。

自分のムービメントを信じること

絶対に出来ると確信すること

邪念が入り込む余地をなくすこと。



コンテンポラリーダンスでのハードな振り付けの話だ。

非常に早いテンポのジャンプやピルエットが多く、少しでもひるむと不可能になる要素が多い。



ときどき絶望的な気持ちになることもある。

それを抑えて

‘自分を信じること。

とおまじないの言葉みたいに唱え続けながら挑んでいる。




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