にがさと甘さ | サバンナとバレエと

サバンナとバレエと

ブラジルからの便り

Cada um sabe a dor e a delícia de ser o que é.




人は皆、自分は自分でしかないことの苦痛も美味も知っている。



ブラジルミュージシャン、カエタノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso) の有名な言葉だ。



自分が自分であることに伴う苦しみや喜び、どちらも消すことは不可能であって、両面があるからこそ各自の美しさがあり詩がある。





同じような言葉をもうひとつ。



ヘッセの‘春の嵐から





自分の一生を外部から回顧してみると、特に幸福には思えない。しかし、迷いは多かったけれど、不幸だったとは、なおさら言えない。


あまり幸不幸をとやこう言うのは、結局まったく愚かしいことである。


なぜなら、私の一生の最も不幸なときでも、それを捨ててしまうことは、すべての楽しかったときを捨てるよりも、つらく思われるのだから。


避けがたい運命を自覚をもって甘受し、よいことも悪いことも十分味わいつくし、外的な運命とともに、偶然ならぬ内的な本来の運命を獲得することこそ、人間生活の肝要事だとすれば、私の一生は貧しくも悪くもなかった。


外的な運命は、避けがたく神意のままに、私の上をすべての人の上と同様に通りすぎて行ったとしても、私の内的な運命は、私自身の作ったものであり、その甘さにがさは私の分にふさわしいものであり、それに対しては私ひとりで責任を負おうと思うのである。







(運命の)甘さにがさは私の分にふさわしいものであり、

それにたいして

私ひとりで責任を負おうと思うのである。


この責任を負うということは自分は自分であるしかないという観念ではないだろうか。諦めではなく開く直りみたいなもの、自分のすべてを受け入れる覚悟。




あるいは慰められることもある。


なにかのあやまちの悔いるとき、後悔で苦しめられる時、




それらも自分が自分であることの証であり、


自分の人生の中になんらかの意味を持ち、


そのにがさがあるからこそ甘さを味わうことができのだ。


そんな考えで元気づけられる。




自分が自分であることに伴う苦しみや喜び、どちらも消すことは不可能であって、


両面があるからこそ各自の美しさがあり詩がある。


それによって


各自の人生が唯一なものになり、各々の存在がかけがえのないものになり、より美しく映える。






サバンナとバレエと



ご無沙汰しました。インターネットの調子が悪く何日間か記事のアップロードが出来ませんでした。それでもアクセスが続いていたのを見てとても感激しました。まったく身勝手な独り言ばかりですが、わざわざ読んでくださる方々がいらしゃると思うととても励みになります。有難うございます。