二輪屋イサミ 局長のブログ -31ページ目

 

「グーグルマップ」を眺めていたら・・・

「大牟田」の「三池港」周辺に、炭鉱遺構が残っている

のを見つけてしまいました。

いつもの「跡」・・・つまり・・・「痕跡マニア」

全開です・・・(笑)

 

 

 

 

以前、ツーリングで、世界遺産登録の「万田坑」には

行った事があるのですが、その時は、「万田坑」しか

見学していませんでした。

今回は、「万田坑」や「宮原抗」以外の世界遺産登録

されていない、炭鉱遺構を見て廻りたいと思います。

 

 

国道や高速道路を通って、約3時間くらいの道のりでした。

まずは、「三池港」からスタートです。

ここは、港全体が、世界遺産登録に、なっているようです。

 

 

三池港は、元々、砂浜の遠浅の海岸だったようです。

江戸時代から、炭鉱の掘削が始まり、明治時代になり

管営となっていましたが、最終的には「三井」に払い

下げられ、現在は「三井物産」の所有地です。

 

その時に発見されたのが、「万田坑」だという事でした。

また、以前、このブログでも紹介した事が、ありますが

その鉱脈を見つけたのが、あの・・・「千里眼」の

「御船 千鶴子」だとも言われています。

海岸の砂浜に立ち・・・沖の方を指さし・・・

「黒い物が見える・・・」と言ったそうです。

この写真の砂浜で、そう言ったのでしょうか・・・

 

 

大正時代の港の形が出来た頃の写真です。

港が出来る前は、大型船が入港出来ないため、小舟に石炭を

積んで、天草の手前の三角港まで行き、大型船に石炭を

積み替えて、出荷していたらしいです。

「万田坑」からの石炭の増産に伴い、やむえず、「三池港」

の建設に至った・・・という事でした。

 

写真の中央に、水門のような物が見えます。

三池港は、潮の満ち引きの落差が、約5.5m

あるそうです。

これでは、大型船が座礁してしまうので、「閘門」建設に

至ったらしいです。

水位が下がっても、門を閉めてしまえば、港の中は、満ち潮

の時のまま・・・という事ですね。

 

 

有名な「パナマ運河」と同じですね。

 

 

話を聞くと、もうかれこれ、120年も、動いている

そうです。

近寄って、見たくてたまりませんが、「三井物産」の

敷地なので、入れませんでした。

 

 

三井港の地図を見ると、面白い形をしています。

ハチドリのような形をしているので、「ハミングバード」

という愛称がついているそうです。

どうして、こういう形に、なったかというと・・・

先ほども書きましたが、遠浅の砂浜海岸なので、水深を

深めようと、掘っても、掘っても・・・潮の満ち引きで

砂が入り込んでくるので、この・・くちばしの部分は、約

2kmの堤防を造ったのだそうです。

 

 

ちょうど、人口の運河と、言った所でしょうか。

開発前の写真からすると、全く別物ですね。

 

 

さて、今度は「三川抗跡」へ、やって来ました。

活躍して、役目委を終えた、トロッコを引いていた、電車

達が静かに眠っています。

この時代ですと、たいがい蒸気機関だったりするので

しょうが、三池炭鉱は、国鉄の電気化よりも40年、早く

電気化にしたそうです。

平成9年まで活躍した電車達です。

 

 

坑道の入り口も、保存されています。

 

 

その当時の写真も残されていました。

 

 

先ほどの入坑口を通ると、坑道の入り口に出て来ます。

ここにも、活躍した、トロッコが眠っています。

トロッコの入坑口は、セメントで埋められてます。

坑道内に海水が入り込み始めたので・・・という説明

でした。

 

 

その当時の写真です。

 

 

トロッコの格納庫へ向かうレールも、そのままでした。

日曜日なのに、人の声もする事なく、ガランとした感じに

何かしら、哀愁めいた物を感じますね。

 

 

まだ、真新しい慰霊碑ですが、最近、出来たのでしょうか

名前と年齢が書いてありましたが、19歳の少年も

いたようです。

やはり、明治、大正、昭和、平成の日本の産業は、

こういった、尊い人命の上に成り立っている・・・

と改めて感じました。

 

 

「三川抗跡」の裏手に「三井倶楽部」という建物が

あります。

事前に調べた所によると、高級レストラン・・

ウエディング・・・と書いてあったので、私らが行く所

ではないかも・・・

と思っていたのですが、「三川抗跡」の案内の方が

「受付をすると、2階の資料館が見れますよ」と教えて

くれたので、行ってみる事にしました。

 

 

高級感、溢れる建物で、ちょっと・・・気後れしてます。

というのも、元々、ここは、三井物産の迎賓館だった

ようです。

中に入ると、コンシェルジュの方が、白い手袋をされてて・・

「いらっしゃいませ」なんて言うもんだから・・・

ちょっと・・・小声で・・・「見学なんですけど・・」

というと、「では、お2階の方へ」と案内してくれました。

 

 

明治41年の建設らしいです。

白壁と黒っぽい、床のモノトーンの感じが、高級感、

溢れてます。

 

 

ちょっと前にの「大河ドラマ」の「晴天を衝け」で

「渋沢栄一」が出て来た、あの時代ですね。

 

 

昭和天皇も炭鉱視察に来られたようです。

 

 

その時に、お泊りになられたのでしょうか・・・

休憩をされたのでしょうか・・・

ここだけは、立ち入り禁止に、なっていました。

 

 

少し、暑くなって来たな・・・・

 

 

ここは、「長崎税関三池関税支署跡」です。

やはりここも、明治41に建てられたそうで、ここから

海外(主に中国)へ輸出されていた事を示す重要な

施設跡だという事でした。

 

 

その当時の事を知る、DVDが用意されていて、約10分

くらいですが、よく勉強になりました。

また、先ほどの「三川抗跡」も、そうですが、案内の方

が、常駐されていて、丁寧に教えてくれるのが、本当に

ありがたかったですね。

外部から行くと、こういった「受け入れ準備」が整って

いるというのは、重要ですね。

 

すいません、今回は、ここまでです。

もう少しなんですが、また近々、UPしますので、

ご期待下さいませ・・・