ハプニングだらけのツーリング その2 | 二輪屋イサミ 局長のブログ

前回の「恋人の丘」からの続きです。

腹時計が、「昼が近いよ♪」と言っています。

小国まで、行って、昼ご飯でも、食べましょうかね・・

と、Uターンをしていると・・後ろの方で・・ガシャ!!

 

 

あ・・・やっちまいました・・・

やっぱり、足腰が弱っているんでしょうか・・・

まあ、でも、カウルとウインカーくらいの被害なので

最小限で良し・・とせねば・・・(汗)

 

 

細い道を下って行きます。

以前なら、確認していたんですが、今回からは、未知

なので、気を付けて、行きましょうね。

 

 

「道の駅おぐに」に着きました。

陽気のせいでしょう、駐車場は、いっぱいです。

 

 

 

 

近くの、店で、腹ごしらえをして・・・

 

 

ちょっとだけ、個人的な趣味で、見て回らせて貰いました。

 

 

 

いつも、言いますが、私は、鉄道マニアでは、ありません。

でも・・・ここに、何かが、あった・・・という「痕跡」

は、何故か、たまらない気持ちになります。

事前に、調べた情報によると、ここは昔「国鉄宮原線」

という鉄道が走っていて、ここ「道の駅おぐに」は、

その終点に、なるらしいんです。

今まで、何度となく寄ってますが、全く知りませんでした。

 

 

2階が資料館になっていて、その当時の看板や時刻表

なんかが、展示してあると、ネットに書いてありました。

 

 

しかし・・探しても、見当たりません。

係の人に聞いてみると、「全部、倉庫に直してしまってる」

との事でした。

残念です。

当時の写真が、あったので、それを写させて貰いました。

 

 

 

 

 

 

在りし日の現役の頃の写真が、いっぱいです。

最後の写真は、廃線の日の物でしょうか・・・

何か・・・胸が熱くなって来ます。

やはり、過疎が進み、需要が少なくなり、採算が取れなく

なったようです。

昭和59年、全線廃線みたいなので、38年くらい前の

話ですよね。

 

 

「道の駅おぐに」を出て、県道を通ると、所々に、

「宮原線」の記憶が残っています。

聞くところによると、この橋は、「鉄筋コンクリート」

ではなく、「竹筋コンクリート」製らしいのです。

戦争中に、鉄が不足していた話を時々、聞きますが

これも、そういっ理由からなのでしょうか。

 

 

下から、見上げると、見事な造形です。

溜息が出ます。

 

 

 

さて、今度は、来年、新1000円札の顔になる

「北里柴三郎 資料館」にやって来ました。

北里柴三郎氏は、近代医学の父で微生物学者・・

感染症学の巨星・・という事らしく、ノーベル賞も受賞

された方らしいです。

来年、新札に採用されると、多分・・・凄い人出になると

思うので、先回りです。

 

 

受付で、入場料を払うと、お姉さんが、一通り、説明を

してくれます。

 

 

では、資料館の中に入ってみましょう。

 

 

 

まあ・・正直・・偉業が凄くて、私ら、凡人には、

分かりにくい、資料ばかりです。

そういう人のために、わかりやすいビデオが放映されて

いるので、ゆっくり見ると、良い思いますよ。

 

この建物は元々「北里 文庫」という図書館だったらしい

です。

柴三郎氏が村の人達に、少しでも、見聞を広めて貰おうと

建てたらしいんですが、本自体は、柴三郎氏が提供したけど

建物は、村の人達が費用を出し合って建てられた・・・

との事みたいです。

「この、北里文庫の北里は、北里柴三郎の北里ではなく

北里村の北里だから、大いに活用してほしいと挨拶を

されたそうです。

 

 

 

新札になるまで、後1年足らず・・・

お姉さんの説明によると、只今、ミュージアム建設中との

事・・・

そりゃあ・・また、来たくなりますね♪

 

 

どうしても、食後は、こうなりやすいです・・・(笑)

 

 

隣にある、生家に行ってみます。

この縁側から、見ると、静かな里山の風景が、とても良い

ですね。

 

 

ちょっと、階段が、急ですが2階へ上がって

みましょうかね。

 

 

良いですね~!!夏の夕暮れに、風呂上がりの1杯・・♪

うまいだろうな~♪

 

 

 

床の間に、古い九州地図が、ありました。

すぐに、自分達の住む街を探してしまいますが・・(笑)

いつの頃の地図でしょう?地名が少し違うようです。

ここには、私らの知らない資料が、たくさんあり

そうですね。

 

まだまだ、続きますが、今回は、ここまでです。

次回を、お楽しみに♪