今年最後のツーリングも終わり、何となく、ホッとしております。
何度も書きますが、今年は、「新型コロナ」の影響で仕事も
うまく行かず・・・ツーリングの企画も苦しいものに、なりました。
しかし・・・ラストツーリングが終わり・・・とりあえずは・・・
自由の身 (笑)
という事で、一人旅の妄想は、膨らむばかりです。
しかし!!あまり時間もなく・・・また「コロナ」の事を考えると
何日も・・・というわけには行きません。
そこで!!!
やって来ました!!
ここは、島原へ渡る、「熊本港」です。
軽トラに、スクーター(アドレス125)を積んで来て、ここからは
スクーターで、島原を旅します。
何とか9時40分発のフェリーに間に合いました。
では!!行ってきます。
昨日まで、ポカポカ陽気だったのに、今日は、寒い!!
用心のために、風防を付けて来たのが正解のようです。
甲板から、天草方面を見ると・・・・
う・・・ん・・・これは・・・降ってるな・・・
寒くなると、カモメが餌を貰おうと、付いて来るのですが
まだ、あんまり寒くないせいか、数羽しか、いませんでした。
船内で、餌の「かっぱ えびせん」を買うと思いましたが
なぜか・・・売ってませんでした。
来る途中に買った、朝飯変わりの食料・・・・
ベビースターラーメンじゃ、カモメも食べないよね~♪
そうこうしているうちに、30分の船旅は、あっという間に
終わり・・・
さて、島原一人旅の始まりです♪
ここは、高速道路じゃありませんよ~♪
普賢岳の噴火の時に作られた国道です。
まるで、高速道路のように、高さがあるので、ほんとに走って
良いのかな?なんていう気分になりますね。
穏やかな水平線を見ながら、秋空の下、南へと、ひた走ります。
風が冷たい!!
風防を付けて来て大正解です。
海沿いから、市街地へ入ります。
なんでもない、風景なんですが、知らない町に身を置き、
知らない道を走る・・・・
これだけで、ワクワクして、鳥肌が立って来ます。
ほぼ・・・・病気ですね・・・(笑)
国道から、裏路地へ入ってみます。
ここは、棚田を整備しているようです。
積み上げられた石は、丸く・・・これも、もしかすると火砕流と
いっしょに流れて来た石かもしれませんね。
これこれ!!そうめんが食べたい訳ではないけど、こういう
看板を見ると、旅気分が盛り上がってきますね~!
水平線を眺めながら、北有馬まで、やって来ました。
今日の目的の一つ・・・
これです。
ここは、「有馬キリシンタン記念館」という所です。
どうしても、歴史から離れらません (笑)
私の街にある城山(延岡城跡)の2代目の城主が、この島原から
来られた「有馬直純」氏です。
ここはキリシタンの記念館でもあり、有馬家の記念館でも
あります。
この人が島原の最初の城主だそうです。
まだ、はっきり調べ切っていませんが、有馬家は、いつの頃からか
キリシタンになっています。
私の調べた所によると、「直純氏」は自分もキリシタンなのに
徳川にキリシタンの弾圧を課され・・・
耐え切れず、何処かへの移逃を願い出て、「延岡」へ来た・・
とのようです。
これは、キリシタン伝道師の育成の学校らしいです。
説明によると、日本で、ただ一つ・・・との事です。
色々な展示物があります。
見ているうちに、引き込まれて、タイムトリップしていくような
気分になります。
これは戦国の都於郡時代の「伊東マンショ」の事が書いてあります。
都於郡城跡は、宮崎の西都市から国富町に行く途中にあります。
この頃は、都於郡の「伊藤氏」、延岡は「土持氏」、薩摩は「島津氏」、
豊後は「大友氏」の陣取り合戦、ですね。
やっぱり、島原、天草というと、「島原、天草の乱」なしでは
語れませんね。
「有馬 直純」氏の後の「板倉 重昌」氏が農民達に重税を
課します。
上納出来ない物への拷問として、蓑を着せ、それに火を付け・・・
ある時は、身ごもった娘さんを橋から突き落とし、上から籠を被せ
棒で、抑えて、溺れさせたりしたそうです。
農民たちの不満は、ここで爆発します。
島原と天草の間にある島で、談合が始まり、「天草四郎」を
総大将に掲げ、「一揆」が勃発します。
学生の頃から何度も、教室で聞かされて来た話です。
ここへ来ると、現実にあった話だと痛感します。
これは、農民たちが籠城した「原城」から出土した瓦や人骨です。
本物なのか・・・レプリカなのか・・・聞くのを忘れましたが、
すごくリアルですね。
後で、実際に「原城」へ行ってみようと思ってるんですが、
その前に、近くに「西望公園」という所があるので、ちょっと
行ってみましょう。
小高い丘の上にあるようです。
ありました、ありました。
ここです。
向こうに、みなさんも知っている、銅像があるの、分かります?
そうです。
長崎にある「平和記念像」の作者の「北村 西望氏」の
生誕の家なんです。
あまり、知識がなく、寄ってみたのですが、ほかにも
色々と彫刻物が展示してありました。
彫刻には、あまり詳しくは、ありませんが、この作品に共通して
見えるのは、曲線の艶めかしさ、でしょうか・・・
筋肉の硬さ・・・肌の柔らかさ・・・が、出ているような気がします。
他にも、「山形有朋像」も制作したらしいんですが、何処に
あるのでしょうね。
ここからだと、今から行く「原城」が見えるんですね。
「島原、天草の乱」の時の幕府軍の配置が書いてありますね。
下から2番目・・・
分かります?
そうです・・・「有馬 直純氏」は、延岡藩の城主として、幕府軍に
加わって、一揆軍、鎮圧に向かったのです。
怖いですね・・・
でも、自分の意向ではなく、幕府の命でしょうから、背く訳には
いかなかったでしょうね。
思いっきり、旅の話ではなく、歴史の話になって、すいません。
今日は、ここまでです。
まだまだ、旅は続きます。












































