「ハバハバ」 と 「ノーテンファイラー」。 | げたにれの “日日是言語学”

げたにれの “日日是言語学”

やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓日曜日は、例によって、神保町シアターで、ほぼ1日じゅう映画を見ていました。


   『その場所に女ありて』 1962 (昭和37年) 鈴木英夫 監督
   『お國と五平』 1952 (昭和27年) 成瀬巳喜男 監督
   『旅役者』 1940 (昭和15年) 成瀬巳喜男 監督


の3本ですね。



『その場所に女ありて』 は、映画公開当時27歳の司葉子 (つかさ ようこ) さんを主演にしたカラーのシネスコ。原作はなく、脚本は升田商二、鈴木英夫によるオリジナル。升田商二という人については、ほぼ、何もわかりません。もう1本、長谷和夫監督作品 『日没前に愛して』 という作品があります。他にも共同脚本もあるようです。


〓ものすごくセリフがハナにつくが、昭和30年代の広告代理店の営業マンたちの会話というのは、あんなふうだったのかもしれないですナ。高度経済成長の真ッタダ中。
〓ならば、景気のいい映画なのか、というと、まるで逆なのですよ。すこぶる景気が悪い。広告代理店の現場はこんなにキュウキュウとしたモンだったのかしらん。


〓昭和37年にして、すでに、


   キャリア・ウーマン


の宿命みたいなものがテーマになっているんです。ノラも考えた。


   男に頼るべきか、頼らざるべきか、それが問題だ


〓『ティファニーで朝食を』 は、トルーマン・カポーティの原作をアシゲにしてまで、


   オードリー・ヘップバーンは、男のもとへ舞い戻る


のですが、『その場所に女ありて』 はイサギがよろしい。司葉子さんの最後の電話のセリフがオットコマエなのですよ……


   「さよなら、って言ったのよ」


〓映画のラストは、代理店の女たちだけで飲みに出かける、という、銀座の街角のヒキの画で終わる。その後のことについて映画は関知しない。






  【 “ハバハバ” という謎のコトバ 】



〓ええっと、“日日是言語学のにれのや” ですので、どうしてもコトバが気になる。


〓この映画のラスト・シークエンスです。のちに実相寺昭雄 (じっそうじ あきお) 監督の夫人となる原知佐子 (はら ちさこ) さんのセリフです。
〓会社を出て飲みに行くというのに、司葉子さんが電話の対応でグズグズしています。すると、原知佐子さんが言うんですね。


   「リツコ、ハバハバ!」


〓50代以上のヒトは、あるいは、この 「ハバハバ」 を使った覚え、聞いた覚えがあるかもしれません。アッシの子ども時代にはトンと聞いた覚えがござらん。


〓「ハバハバ」 を初めて聞いたのは、


   五代目 古今亭今輔 (ここんてい いますけ) 師匠の 『青空おばあさん』


という新作落語でした。今輔というヒトは、“おばあさん落語” というジャンルでくくられるほど、「元気でイセーのいいモーレツばあさん」 を主人公にした新作落語で売ったヒトでした。
〓『青空おばあさん』 という落語では、おばあさんがミョウにハイカラぶって、若いモンに対する負ケン気を示すんです。


〓落語の題に言う “青空” というのは、米国の白人歌手 ジーン・オースティン Gene Austin が昭和3年に大ヒットさせたポピュラーソング “My Blue Heaven” のことです。


〓日本では、この時代の米国の流行歌をジャズ曲と称しますが、そうではありませんで、


   戦前の日本では、洋楽のポピュラーソングをナンでもカンでも “ジャズ” (ジャヅ) と呼んだ


のです。
“My Blue Heaven” という曲は、日本では、浅草のボードビリアン 二村定一 (ふたむら ていいち) が 『あほ空』 として、ほとんど同時期にカバーしています。 (正しいカナ遣いは “あをぞら” です。“あほぞら” ってカナ遣いに思わず吹き出しちゃう)


   ♪夕暮れに 仰ぎ見る 輝く青空
   ♪日 (ひ) 暮れて たどるは わが家の細道


という訳詞です。


〓戦後、浅草の喜劇王、エノケンこと榎本健一が 『私の青空』 という題で再カバーします。歌詞は同じですが、エノケンのバージョンは、二村定一と違うところがある。


   ♪日暮れて たどるは……


というぐあいに、助詞の “が” が入るのです。


〓でね、『青空おばあさん』 に出てくる今輔師匠のオバアサンは、ハイカラぶって、この 『私の青空』 なんぞを歌い、知ってるかぎりの英単語を連発するんです。
〓このオバアサンは、♪ヒ~ガ クレ~テ~♪と歌っているので、エノケンのバージョンですね。


〓でね、この 『青空おばあさん』 という新作落語の中に、クダンの


   「ハバハバ!」


が出てくるのです。いったいナンだろうとは思いながらも、スルーしてたんですね。


〓でね、『その場所に女ありて』 のラストで、そのほとんど忘れかけていた 「謎のコトバ」 とフイに再会したのです。驚いた。今輔落語を聴いたときに、意味がわからないでホッポラカシにしていたのを思い出したのです。


〓今さらながらに 「日本国語大辞典」 を引いてみると、これが載っているのです。



   ――――――――――――――――――――
   【 ハバ‐ハバ 】 <米語> hubbahubba

     《ハバーハバー》相手に対して急ぐように促していう語。早く早く。
     第二次世界大戦後、駐留軍のアメリカ兵が伝えて、流行したもの。


       『土曜夫人』 (昭和21年) 織田作之助
         「ハバア、ハバア!」
         「せかさないでよ、今、代りますから。あたしはただお取次ぎよ」
   ――――――――――――――――――――



〓どうやら進駐軍がもたらしたコトバらしい。今、米国に行って、若い人相手に、


   Hubba-hubba! [ ' hʌbə ' hʌbə ] [ ' ハバ ' ハバ ]


と言っても通じないかもしれません。英語の辞書では、「同意、喜び、興奮を示す間投詞」 と説明しています。今、使われることがあったとしても、「相手を急がせたり、また、何かを催促することを示す間投詞」 という用法は、今では主流ではないようです。


〓この語は、1920年ごろの米国で登場し、語源はまったく不明です。もし、この語の語源を 「これだ、あれだ」 と示している資料があったとしたら、自己流のテキトーな語源説だと思ってよいでしょう。

〓1940年代になって急激に広まったようです。軍隊やプロ野球選手のあいだで盛んに使われたので、しばしば、こうした組織が発生源だと書かれることが多いようです。


〓米軍で Hubba-hubba が流行っていたころ、日本が太平洋戦争に負けました。それゆえ、進駐軍とともに日本にやってきました。

〓米国では、この直後に自然消滅したそうです。おそらく、日本でも自然消滅したのでしょうが、米国よりも遅くまで常用された可能性があります。言語の一般法則 ── 「古いものは中央よりも、周縁部に残ることが多い」 ですね。


〓そして、


   昭和37年の映画の中で、20代と目される女性が、「ハバハバ!」 を使っている


のです。
〓原知佐子さんの映画公開当時の年齢は、司葉子さんと同じ 27歳です。してみれば、終戦当時、10歳という計算になります。なるほど、10代の最初に知ったGI (進駐軍の米兵) の使うコトバ “Hubba-hubba!” は、その17年後でも使われていた、という設定になります。






  【 “ノーテンファイラー” とはナンぞや 】



〓「ハバハバ!」 と同じような経験は他にもあります。


初代 柳家三亀松 (やなぎや みきまつ) 師の三味線漫談 (しゃみせん まんだん=寄席の出し物のひとつ) で、フシギなコトバを聞いたことがあるのです。


〓初代 三亀松というヒトは、男と女のリアルな声色 (こわいろ) をやって評判のあったヒトです。男と女がひとつ座敷で酒をやったりとったりしながら、喋喋喃喃 (ちょうちょうなんなん) と睦言 (むつごと) を交わすわけです。
〓そのあいまに、ナンとも哀愁のある声で、艶然 (えんぜん) たる都々逸 (どどいつ) をうなる。この三亀松の都々逸の節がナンともよかった。


〓むろん、アッシはナマで聞いたわけではありません。明治34年生まれで、昭和43年に亡くなっています。アッシが寄席で、ナマで見た三亀松師匠は二代目です。この二代目でさえ平成10年に亡くなっているんですなあ。もう10年以上経つのか……


〓初代の三亀松というヒトは、三味線片手に甘い声で色っぽいネタばかりやっていましたが、ニンゲンそのものは反骨のヒトでした。
〓戦前の日本では、歌舞伎小屋、寄席、映画館などの “人寄せ場” には “臨検席” というものがあり、警察官が出し物を監視していたようです。風俗的・政治的に好ましからざる演目がかかったときは、警官が 「中止!中止!」 と呼ばわって、興行をやめさせることができました。

〓初代 三亀松は、何度もこの 「中止」 を食らって、そのたびに 「始末書」 を書かされたそうです。


〓日中戦争、太平洋戦争への助走として、昭和は1ケタの時代から、国家による社会への締め付けは少しずつ厳しくなっていったようです。昭和9年には、特高 (とっこう=特別高等警察) によるレコードの検閲が始まっています。
〓もちろん、当時のレコードは、落とすと割れちゃうというSPレコードでした。78回転で、収録時間は最大でも片面4分30秒、両面で9分 (戦前の12インチ) でした。
〓戦前は、落語、浪曲、あるいは、その他の寄席の色物芸のレコードなども盛んに発売されていました。

〓初代 柳家三亀松のレコードは、


   31 枚が発禁処分になった


そうです。


〓三亀松師の三味線漫談は、NHKにも、かなり音源があるようです。アッシは、NHKラジオで、ずいぶんと聴きました。
〓と、その中に、まったく聞いたことのないフシギなコトバが出てきたんです。


   ノーテンファイラー


〓三亀松師匠がやる声色 (こわいろ) の女が、イケズをする色男を、鼻声でたしなめるときのセリフなんですよ。


   「ぅぅん、ノーテンファイラー」


〓ピンク色な声です。しかし、まったく心当たりのないコトバでした。他の落語などの話芸でも、いっさい聞いたことのないコトバ。ありったけの辞書にあたってもミジンも載っていませんでした。

〓実は、このコトバ、正しく言うと、


   脳天ホワイラ


なのです。載っていないコトバはない、と言ってもよい 「日本国語大辞典」 にも載っていない。この 「ノーテンファイラー」 の素性を知ったのは、


   『戦時中の話しことば ―ラジオドラマ台本から―』
          ひつじ書房  2004年刊


という本を読んでいたときでした。
〓この本は、太平洋戦争中に、コトバがどのように使われたのか、を調べたものです。どのようなコトバが禁止され、どのように言い換えられたのか、また、どのようなコトバで戦争が礼賛されたのか、ひとことで言ってしまうと、そういう本です。実に、オリジナリティのある興味深い本です。
〓ここのところ、書店では、まず見かけないので、興味のあるヒトは注文するのがよござんしょう。アマゾンで新品の扱いがあります。3,800円+税。


〓名前だけはよく知られているが、その詳しい実態は、なかなか知ることが難しい、いわゆる、


   「敵性語」 の発生過程


なども詳しく論じられています。


〓よく、太平洋戦争を描いた映画を見ていると、日本兵が、外来語を平気で使っているのを見ます。ずっと、それが疑問だったのですが、


   昭和15年に、日本陸軍は、いったん漢語に言い換えた外来語を、大幅に元に戻した


なんて事実があったそうです。そういうことも書いてある。


   「スパナ」 と言うな、「螺鑰」 (らやく) と言え


などと言ったところで、あまり学問のない兵隊たちには言えようハズがなかったのですね。


〓ところで、中国を転戦した日本兵は、カタコトの中国語を覚えて、仲間どうしで流行コトバのように使っていたらしい。もっとも下士官 (かしかん) に見つかればたしなめられたそうですが。
〓そうした流行コトバの中に、


   脳天ホワイラ


というのがあったそうです。「ホワイラ」 というコトバは、“病気だ、悪い” の意味で使われたと言います。


〓これは、中国語の


   壊了 huài le [ xʊailə ] [ ほアイら ] (北京音)


のことです。「壊」 は、「こわれる、悪くなる、腐る、失敗する」 という動詞。「了」 は “完了” (~してしまった) をあらわす助詞。
〓すなわち、「壊了」 は、「こわれた、悪くなった、腐った、失敗した」 という意味です。あるいは、「壊了!」 単独で、「ダメだ!」、「困った!」 などの間投詞ともなります。
〓なので、


   「脳天ホワイラ」 = 「脳ミソがイカレてる」


という意味になります。まあ、ひとことで言えば 「バカ」 と言うのと同じでしょう。


〓今、Yahoo! China で、


   脑天坏了 (「脳天壊了」 の簡体字表記)


を検索すると、たったの1件しかヒットしません。中国語ではまったく普通ではない表現だということがわかります。しかし、よくもまあ1件だけあったモンだ。「笑っていいとも」 なら携帯ストラップですね……


〓ですから、「壊了」 に 「脳天」 を組み合わせたのは、まったく、日本兵のオリジナル、ということになります。 (→ 最後の 【付記】 に追加情報があります)



〓戦後、この 「脳天ホワイラ」 が、中国からの引き揚げ兵によって、内地に広められたようです。ただ、進駐軍の Hubba-hubba ほどヒットしなかったようです。しかし、どういうわけか、


   柳家三亀松師匠は、これがお気に入りで 「ノーテンファイラー」 をよく使っていた


ということになります。しかし、三亀松師は、なぜか、「ホワイラ」 とは発音せずに、「ファイラー」 と言ってますね。発音が崩れてる。






  【 成瀬巳喜男の “喜劇映画” 】



〓ハナシは映画に戻るんですが、3本目に見た 『旅役者』 は、実に面白うがしたよ。


   成瀬巳喜男 (なるせ みきお) 監督が撮った “喜劇映画”


です。成瀬巳喜男の喜劇、というと、ちょっと他に思い出せません。初期にはサイレントの喜劇も撮っていたらしいですが、アッシは不勉強にして見たことがありません。喜劇ではない映画の、ちょっとした瞬間に 「ふっ」 と笑みを浮かべてしまうことはありますが。


〓しかし、


   成瀬巳喜男監督の喜劇映画のセンスは大したもの


だと思いましたがナ。

〓邦画でも、洋画でも、「チッとも笑えない巨匠の手がけた喜劇映画」 ってのが、ときどき、ありますが、成瀬巳喜男監督のはそうじゃない。根っから笑いのセンスを心得ているのに、表立って振りまわそうとしない。
〓きまじめな顔をして、ものすごくオカシイことを言っているヒトみたいです。だから、余計におかしい。
〓リズムがいいし、画 (え) がいい。監督によっては、喜劇映画がトクイ分野なのに、リズムが悪くて、平凡な画しか撮れない、ってヒトがいます。成瀬監督の場合は、


   画がよくって、リズムがよくって、かつ、面白い


〓なぜ、もっと喜劇を撮らなかったのかしらん、と思うくらい。


〓原作も良かったのかもしれません。宇井無愁 (うい むしゅう) の 『きつね馬』。ヘンな題名だが、この題名こそが、この作品のミソなのですよ。


〓宇井無愁 (1909~92) は、大阪生まれで、落語をよく知る作家、劇作家でした。映画の前年の 「オール讀物」 に発表された、この 『きつね馬』 が直木賞候補になっていたそうですが、受賞歴には恵まれていません。そのセイか、Wikipedia にも立項されていない。
〓宇井無愁というペンネームは、フランス語の


   Oui, monsieur! [ wimə ' sjø ] [ ウィムッ ' スュー ]


のモジリです。客に対して店員が、あるいは、主人に対して使用人が、「うけたまわりました」 と了解したことを伝える返事です。英語の “Yes, sir!” に相当しますが、軍隊なんぞでは使いません。



〓ところで、この 『旅役者』 という映画、昭和15年の作品とは思えないほど、画も音もクリアです。
〓しかし、主人公は、と言えば、往年の麗しの女優などではなく、


   藤原鶏太 / 藤原釜足 (ふじわら けいた / かまたり)


そのヒトなのです。
〓藤原釜足という名脇役は、この映画が公開された昭和15年から終戦まで 「藤原鶏太」 (けいた) を名乗っていました。


   藤原鎌足 (ふじわらのかまたり) を冒瀆しているとして、
   昭和15年に、内務省 (管轄下に警察があった) から改名を命ぜられた


のです。
〓「名前を変えた」、すなわち、江戸弁で、「けえた」 だから 「鶏太」 なのです。映画の中に、駅のホームで藤原鶏太が、鶏をつかまえようとするカットがありますが、当てこすりででもあったんでしょうか。


〓ご存じのように、このヒトは、日本映画の “名脇役” です。顔を見れば、たいていのヒトは 「ああ」 と思うでしょう。


   その名脇役が、主役なのだから、ハナシがトンチンカンにならないハズがない


のです。
〓さらに言うなら、準主役は、「柳谷寛」 (やなぎや かん) です。このヒトも脇役街道ひと筋でした。ウルトラマン世代のヒトなら、


   警官とか、船員とかのチョイ役


で、年中、お目にかかっていた俳優さんですよ。ゲタのような四角い顔に愛嬌があった。


〓そして、


   六代目 中村菊五郎


という旅回りの歌舞伎一座の座長を演ずるのが、


   高勢實乘  (実乗) (たかせ みのる)


です。


〓サイレント時代から活躍し、とりわけ、トーキーになって、喜劇役者に鞍替えしてから有名になりました。今ではフィルムが散逸して見ることのかなわない、山中貞雄 (やまなか さだお) 監督の映画 『怪盗白頭巾』 (かいとうしろずきん) (1936年/昭和11年) の中のセリフ、


   「あのね、おっさん。わしゃ、かなわんよ」


という、オオギョウで、ヘンテコな調子のつく文句が、当時、流行したそうです。アッシは、NHKラジオで高勢實乘の漫談という奇妙な音源を聞いたことがあって、このセリフの節回しが耳に残っています。
〓その高勢實乘が、ミョーなフシでしゃべる座長/師匠を演じているのです。


〓それに、どだい、この 「六代目 中村菊五郎」 という名前がふるってまさあね。確かに、詐称はいっさい無いんでしょう。落語で言えば、三遊亭志ん生、歌手で言うなら、美空はるみ、イケメンで言うなら、水嶋春馬みたいな。


〓藤原釜足の役名だってふるってます。


   市川俵六 (いちかわ ひょうろく)


ってんですよ。江戸っ子は、“ヒ” と “シ” が区別できないから、「ヒョウロク」 も 「ショウロク」 も大した違いじゃない。つまり、尾上松緑 (おのえ しょうろく) ですよ。


〓それに、「ヒョウロク」 は、明らかに “表六玉” (ひょうろくだま=間抜け、愚か者) に通じています。



〓この映画の公開された昭和15年には、すでに、日中戦争は開戦しており、翌年末には、ニイタカヤマノボレの無電とともに、泥沼の “大東亜戦争” が開戦します。この映画の中にも、「出征してゆく馬」 が描かれています。

〓成瀬巳喜男監督は、殺し合いに向かってマジメ一方になってゆく日本社会に対して、このようなバカげた喜劇映画を撮ることで、抗議したのかもしれません。映画のラストのシークエンスは、あまりの絵に描いたようなバカバカしさに、ヒザを打って笑わずにはいられません。




〓この映画は、このあと、まだ、


   3月3日 (火) 2:15~

   3月6日 (金) 4:30~


の回の上映が残っています。これは、是非にもすすめておきます。この映画を見るためだけに足を運んでソンはありません。この映画はDVDにはなっていないようですヨ。


〓また、ハナシは変わるんでゲスが、


   3月6日 (金) まで、
   高田馬場の “早稲田松竹” にて、


   『ゆきゆきて、神軍』
   『全身小説家』


の2本のドキュメンタリー映画が上映されています。ドキュメンタリー映画作家、原一男 (はら かずお) の代表作2本です。


〓『ゆきゆきて、神軍』 については、もはや、何も語ることはありません。ただ見るべし。1987年。公開は、渋谷の桜丘にあったころの 「ユーロスペース」。まだ、1スクリーンのみでロビーもなかったころだった、と記憶してます。
〓小川紳助の静謐なるドキュメンタリーにゾッコンだったころ、突如あらわれた、全身で体当たりするドキュメンタリーでした。

〓『全身小説家』 は、ガンと闘う晩年の作家 井上光晴を追い、また、彼の生い立ちの謎も追求しようとしたドキュメンタリーです。のちに、


   「全身落語家」 (立川志らく)
   「全身漫画家」 (江川達也)


を始めとして、「全身作曲家」、「全身芸術家」、「全身翻訳家」 といった数々のモジリを生み出した鮮烈なる “格闘ドキュメンタリー” です。


〓この2本をまとめて見られる機会は、それほど、あることではありません。




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【 付記 】


〓「ノーテンファイラー」 は、中国語の


   袋坏了」 (脳袋壊了) năodai huài le [ ナオタイ ホアイら ]


に由来する、という説もあるようです。この表現、確かに、Yahoo! China で検索すると、7,604件ヒットします。「脳袋」 というのは “脳が入っている袋” だから 「頭」 のことですね。「脳袋壊了」 で、まさに “頭が悪い” という意味になるようです。


〓あるいは、「ナオタイ ホアイラ」 が、日本語の 「脳天」 と合体して、「脳天ホワイラ」 に変じたのかもしれません。



〓Yahoo! China でヒット数 7,604件というのは、少ないほうです。必ずしも、よく使われる表現ではない、ということでしょう。しかし、


   韓国版 『花より男子』
     “꽃보다 남자” kkot-poda namja [ ッコッポダ ナムヂャ ]
       ※中国語題は “花样男子” huāyang nánzĭ [ ふアヤン ナヌツー ]


の挿入歌に “SS501” の歌う、


   “내 머리가 나빠서”/“Because I'm Stupid”
        nɛ mɔriga nappasɔ [ ネ モリガ ナッパソ ] 「僕の頭が悪くて」


という曲があります。


〓この歌のタイトルが、中国では、


   “我的袋坏了” wŏde năodai huài le 「僕の頭は悪い」


と訳されています。つまり、表現としては 「生き」 だということになりますネ。