『アラビアのロレンス』 ── なぜ、彼は “オレンス” と呼ばれたか? ―― 前編 | げたにれの “日日是言語学”

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   げたにれの “日日是言語学”-アラビアのロレンス2





『アラビアのロレンス』  “Lawrence of Arabia”  を見てまいった。もう1週間以上前の11日です。この文章をまとめるのに1週間以上かかってしまいました。



〓監督デイヴィッド・リーン David Lean の監修のもと、1989年 (亡くなる2年前) に、修復されたヴァージョン restored version です。ディレクターズ・カットは 216分ですが、これに、テーマ曲をかぶせた、


   冒頭の 「オーヴァチャー」  overture
   休憩時間の 「インターミッション」  intermission


の “黒味” (真っ黒画面) を加えて、


   『アラビアのロレンス~完全版』 227分 (3時間47分)


として上映されています。上映館は南新宿のテアトル・タイムズスクエア。



〓ニュープリントをうたっているけれども、どうも 70ミリフィルムではないような。


〓『アラビアのロレンス』 は、オリジナルでは、スーパーパナビジョン Super Panavision 70 という方式で撮影・上映されておりました。これは、65ミリのネガフィルムで撮影し、それを磁気録音トラックを加えて 70ミリのポジにして上映するものです。


〓画面の縦横の比率は 1 : 2.20。スーパーパナビジョンは、横長のシネマスコープ・サイズの映画によく使われた 「アナモフィック・レンズ」 anamorphic lens を使いません。通常のレンズ spherical lens を使います。


〓「アナモフィック・レンズ」 というのは、映像を、横方向に圧縮するレンズで、これによってフィルムに焼き付けられた像を、上映用のポジをつくる段階、あるいは、上映そのものの段階で、ふたたび、もとどおりに変形し直します。 ana- はギリシャ語の接頭辞で 「もとに」 (ラテン語の re-) の義。 morphic は 「形態の」 というギリシャ語をもとにした形容詞です。


〓で、どうも、今回のニュープリントというのは 35ミリのようです。いわゆる、「縮小シネスコ」 というもので、本来は70ミリ幅のフィルムを使うべきところを、半分の幅の35ミリ幅のフィルムを使い、コマの上下をカットして、シネスコのごとくチョー拡大して上映します。だから、フィルムの情報量としては、普通のスタンダードサイズの映画よりも少なくなってしまうのですね……  そういう映像をテアトル・タイムズスクエアのような巨大なスクリーンに投影すると、画がザラついた感じになります。

〓そもそも、70ミリフィルムの上映設備がある映画館って、どれくらいあるんだろう……



〓カラー撮影の方式は、テクニカラー Technicolor です。テクニカラーというと、ナンか古くさい色の映画だ、くらいに思うかもしれませんが、実を言うと 1950年代に登場した



   発色フィルムの “イーストマン・カラー”

      ※現在、普通にカラーフィルムと呼んでいるタイプ。
       正式に言うなら monopack color film と言う。



より、はるかに優秀で、金がかかっていたのです。実を言うと、テクニカラーを駆逐した初期の “イーストマン・カラー” で撮影された映画は危機に瀕しておるのです。


   褪色の危機


です。使い古されたカラー映画を見たことがあるヒトは、褪色というのが、どのような悲惨なものかわかりますよね。1983年以前のカラーフィルムは褪色に弱く、早ければ25年で、映像の 30%が消失すると言われています。


〓今、こうしているあいだにも、初期のカラー映画は、経年変化で色がどんどん褪せていっているのですね。この褪色をマジで復元しようとすれば、相当な費用が必要になります。



〓溝口健二 (みぞぐち けんじ) 監督の 『新、平家物語』 がフィルムセンターによってデジタル復元・修復をされ、2004年の冬に、35ミリ・フィルムで一般公開されました。見たヒトもいると思います。この年のフィルムセンターの 「実績報告書」 では、


   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

   映画フィルムデジタル復元 3作品 所要経費 1975万円余
      『國士無双』 伊丹万作
      『瀧の白糸』 (部分修復) 溝口健二
      『新、平家物語』 溝口健二

   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


となっています。伊丹万作監督の 『國士無双』 は、モノクロ、サイレントで、一部にあたる25分しか現存していません。また、『瀧の白糸』 もモノクロ、サイレントであり、“部分修復” となっています。とすれば、『新、平家物語』 の修復にかかった費用は、確実に1千万円を超えているでしょう。


〓いっぽう、テクニカラーには、実質的に、褪色というものがありません。


   テクニカラーは、そもそも、撮影段階で、レンズから入った光線を
   三原色に分解して、3本の別々のモノクロフィルムに定着する、という方式


なのです。わかりますか? 3本のモノクロフィルムです。つまり、褪色がない。この3本のモノクロフィルムから、1本のカラーポジをつくるのですから、


   経年変化がきわめて少なく、何世紀にもわたって、もとの色が再現できる


のです。古いものがナンでも劣っていると思ってはいけない。



〓この正月に、『ゴッドファーザー』 d“The Godfather” のデジタル修復版を映画館で見たヒトがいるやもしれません。実を言いますと、フランシス・フォード・コッポラ Francis Ford Coppola の撮った 『ゴッドファーザー』、『ゴッドファーザー PART II』 “The Godfather Part II” はテクニカラーで撮影されているのです。
“Part I” が1972年、 “Part II” が1974年ですから、どちらも1983年以前の映画です。それゆえ、もし、イーストマン・カラーなどの 「モノパック・カラー・フィルム」 (1本で3色のカラーフィルム) で撮影されていたら、現在では、


   しらっちゃけたハゲチョロリンの “ゴッドファーザー”


にしか、お目にかかれなかったのですよ。


〓1960年代から70年代初頭にかけて、ハリウッドは凋落 (ちょうらく) の一途をたどり、『ゴッドファーザー』 も低予算のギャング映画として企画され、そのオファーは監督のあいだをタライ回しにされていました。
〓けっきょく、当時31歳、無名のイタリア系監督にオハチがまわってきました。台所事情の良くなかったパラマウントを相手に、どのようにして、“テクニカラー” で撮影することをナットクさせられたのかがフシギです。


〓たとえ、デジタル修復するにしても、もとの映像と色彩が残っていなければ、どうにもなりません。テクニカラーの場合であれば、残っている3本のモノクロのオリジナルネガから、公開当時のポジを超える色彩やコントラストを持った映像を再生することが可能です。今回の修復は、コッポラ自身が監修しており、そのような場合、


   当時の技術では不可能だった映像


も、新たに “生み出されている” ハズです。つまり、初号フィルムを超える映像です。


〓当時の米国においては、観客数は減るいっぽうなのに、上映館スクリーンの数は増える、という状況があり、イーストマン・カラーにくらべて、


   撮影・現像・上映用ポジ作製に、余計な “金と技術と時間” を要求される


テクニカラーは敬遠されるいっぽうでした。


〓実際、米国において最後に作製された 「ダイ・トランスファー・プリント」 (テクニカラーの上映用ポジ) は1974年の 『ゴッドファーザー PARTII』 でした。

〓テクニカラーのプリント用のプラントは、翌1975年に閉鎖されています。イタリアでは、1977年の 『サスペリア』 “Suspiria” (ダリオ・アルジェント) が最後でした。1978年、英国のテクニカラーのプリント用プラントは中国に売却され、のちに、張芸謀 (チャン・イーモウ) の


   『菊豆』 (チュイトウ) 1990
   『紅夢』  1991


がテクニカラーで撮影され、プリントはダイ・トランスファーで製作されました。当時の張芸謀のフィルムの赤や黄色はひじょうに発色が美しく、「色彩の魔術師」 のごとく評されていました。


〓1990年代後半に入ると、イーストマン・カラーに対して、プリントの状態でも安定性に優れる 「ダイ・トランスファー・プリント」 が “アーカイブ用” に必要とされてきました。テクニカラーは、1997年から、ふたたび、「ダイ・トランスファー・プリント」 の受注を再開しました。そのために、このころから、『風と共に去りぬ』 などの初期のテクニカラー作品をニュープリントで見ることができるようになったわけです。



               映画            映画            映画



〓ハナシを 『アラビアのロレンス』 に戻しますと、「縮小シネスコ」 とは言い条 (じょう)、それでも、もとが65ミリですから、普通の35ミリ・スタンダードサイズの映画を同じ割合でチョー拡大して投影したものより解像度は高いハズだと思います。
〓スーパーパナビジョンは、1コマの面積が、通常の35ミリ・スタンダードの 3.2倍もあります。スゴイっすね。


   トーキー映画の 35mm フィルム (アカデミー・フォーマット)
      16mm × 22mm = 352mm²


   スーパーパナビジョンの 70mm フィルム
      23.01mm × 48.56mm = 1117.37mm²


〓アッシは、例によって、20代の前半から、原則、テレビ画面では映画を見ていないので、実は、『アラビアのロレンス』 をチャンと見たことがないんです。小学生くらいのころに、TVで放送していた 207分バージョンは見たような記憶があります。しかし、第一次大戦当時の中東の勢力争いなんて、テンで 「宇宙のハテのハナシ」 と変わらず、ナンのことかサッパリわからず、列車が転覆する場面とか、そんな映像の断片しか記憶になかった。だから、まあ、初めて見るのと同じです。



げたにれの “日日是言語学”-アラビアのロレンス1


〓ナンという映画だろう。たとえ、縮小シネスコにせよ、TV画面なんぞで見るよりはるかにスゴイ。ナンという映像か。アッシも山に登って写真なんぞを撮りますが、苛酷な状況になれば、写真なんぞ撮ってられるけえ!という弱ったココロになる。

〓なんじゃなんじゃ、この砂漠で、あの当時の機材で、こんな画を定着させるとは! フィルムの中の世界遺産と言ってもいい。


   映画は、TVで見ても、見たウチに入らないよ


ってえことをアッシは、たびたび申すんですが、なかなか、その意味がわかってもらえない。しかし、この 『アラビアのロレンス』 なれば、映画館で映画を見る意味がわかろう、ってなものです。


〓TV画面で映画を見るクセをつけると、


   映画の筋とテーマしか拾えなくなる


のですよ。意味がわかるかな、わっかんねえだろうなあ…… いぇい。


   「『モナリザ』 見たことあるよ!」


っていうヒトがいたら、


   「え? 日本で見たの? ルーブルで見たの?」


って訊くでしょうが。


   「画集で見たよ!」


って答えたとしたら、「ぷぷぷっ」 って笑っちゃうでしょ。映画も同じだと思うんすね。






  【 ロレンスが、なぜ、オレンスになるのか? 】


〓映画の中で、ひとつフシギだったのが、 Lawrence の名前が、アラブ人のあいだでは、


   「オレンス」


になること。これは映画の中でも説明がないし、今、ちょっとパンフを見たんだけど、やっぱり説明がありません。日本語版・英語版の Wikipedia でも説明されていない。


〓ロレンス自身の著書 『知恵の七柱』 (しちばしら) “Seven Pillars of Wisdom”、および、ロレンス自身の書いたものによれば、彼の呼び名は、


   Auruns, Aurans, Runs, Lurens, Urens


など山ほどあったようです。 Auruns, Aurans が 「アウルンス、アウランス」 のつもりだったのか、「オルンス、オランス」 のつもりだったのか、という問題もあります。これらをアラビア文字で書こうとすると、


   اورونس ʼAuruns, ʼOruns
   اورانس ʼAurans, ʼOrans
   اورينس ʼUrens (, ʼAurens)
   اورنس ʼAuruns, ʼAurans, ʼOruns, ʼOrans, ʼUrens


などという綴りが考え得るのだけれど、ネットを検索してもテンで使われていないのです。たぶん、アラブ世界では、忘却の彼方 (かなた) のヒトなのかもしれません。


T. E. Lawrence の名前は、アラビア語で、


   لورنس Laurens, Lūrens, Lurens, Lōrens, Lorens ※はて、どれで読むのか 「?」


と正式な発音で書かれるだけです。


〓ロレンスが、当時、アラブ人のあいだで、さまざまに呼ばれていたのは確かですが、多くの場合に共通しているのは、語頭の L を落として呼ばれていた、ということです。映画も、これにならったものでしょう。はて、どうしてこうなるのか?


〓まずですね、映画の中の会話は、全部、英語ですが、ロレンスとアラブ人の会話は、現実には、すべてアラビア語だったにちがいありません。のちにイラク国王ファイサル1世となる 「ファイサル王子」 は “英語を話せなかった” そうです。ましてや 「アウダ」 が、ペラペラと英語を話すワケがありません。あとで説明しますが、ロレンスの相棒たる 「シェリフ・アリ」 は架空の人物です。

〓ロレンスは、上手とは言いかねるがアラビア語が話せました。



〓もし、彼がアラブ人に名前を訊かれたとしたら、アラビア語では、こう答えたでしょう。



   .sneroL اسمي   ※ Lorens をどう綴るべきか判然としないので、逆向きのラテン文字にしました。
      ʔismī Lorens [ イス ' ミー ' ろレンス ] 「わたしの名前はロレンスだ」


       ※語頭の [ ʔ ] は声門閉鎖音。「アッ!」 というときの 「ッ」 の音。
        少なくとも、正則アラビア語は決して語頭が母音で始まらない。
        日本語も、文頭が母音で始まる場合は、 [ ʔ ] が添えられていることがある。
        日本語では、あってもなくても意味は変わらない。語頭の声門閉鎖の有無は、自分の発話をきわだたせるための
        心理的なものだろう。グダ~ッとシャベるときには必要ないようです。


            「どこが痛いの?」 ── 「胃」


        のような発話では、 [ ʔiʔ ] 「ッイッ」 のように発音されます。これは、相手に正確に伝えたいという無意識の発音の操作です。
        また、発話の最後が、「平板型」、「尾高型」 のアクセントで、かつ、短母音で終わる場合、
        つまり、発話の最後が短母音の高いアクセントで終わる場合、声門閉鎖音が添えられることがある。

            「橋」、「端」  [ haɕiʔ ] [ ハシッ ]
            「箸」     [ haɕ: ] [ ハシ ]



 ʼismī [ イス ' ミー ] というのは、英語の my name is ~ に当たります。このタイプの文型の場合、アラビア語では be 動詞にあたるもの (コピュラ、繋辞 <けいじ>) を使いません。ロシア語などのように、「A B」 というと、「A は B である」 になります。すると、こういうふうに解釈される可能性がでてきます。


 ʼism [ イスム ] が 「名前」 という名詞で、  をつけると 「わたしの名前」 となります。


   ʔismī l-ʼOrens [ ʔis'mi:l 'ʔorens ] [ イスミーるオレンス ]


〓アラブ人は、こう聞いたのではないか、と思うんですね。つまり、 L は定冠詞であり、 Orens が名前だ、というふうに。
〓この文章を、「イスミールオレンス」 ではなく、「イスミーレンス」 としたいところだし、そのほうが筋が通るんですが、アラビア語は単語が母音で始まることがないのです。日本語で書かれるときに母音で始まっている単語は、 [ ʔ ] もしくは、 ع [ ʕ ] 「アイン」 という 「日本人には聞こえない子音」 が無視されているのです。だから、定冠詞 al- と次の母音が連声 (れんじょう=リエゾン) を起こすことはないんですね。


   الاسد, الأسد [ ʔælʔæsæd ] [ アるアサド ] 「ライオン」 the lion
   الاسلام, الإسلام [ ʔælʔislɑ:m ] [ アるイスらーム ] 「イスラム」 the islam


〓まあ、ここがじゃっかん腑に落ちないところではあるんですが、 Lawrence  L をアラビア語の定冠詞と思い込むと、名前が Awrence になってしまう、という寸法です。


〓英語のネイティヴは、「声立てとして声門閉鎖音を使う」 という発音法を心得ていないようです。たとえば、ソフトバンクのCMで、ダンテさんは、こう言っています。



   げたにれの “日日是言語学”-ヒマラヤのダンテさん

   「すいません、ノトーサン」


〓英語のネイティヴは、日本語の 「ン」 をすべて [ n ] で発音してしまうので、次に母音が来ると、「連声」 (れんじょう) を起こしてしまいます。だから、「オトーサン」→「ノトーサン」 です。


〓たとえば、日本人の場合、「“アン・アン” を買ってきて」 と言うとき、


   [ ʔaɴʔaɴʔo ] [ ˀアンˀアンˀオ ]


のように発音する場合があります。キッパリと 「連声を断ち切る」 (=声立て) ためです。「アルˀアサド」 というアラビア語の発音もまったく同じものです。だとすると、


   ロレンスを含む、多くの英国人は、「アル・アサド」 を 「アラサド」 としか発音できなかった


かもしれません。それなれば、「ル・オレンス」 が 「ロレンス」 になってもおかしくない。



               カチンコ            カチンコ             カチンコ



〓実は、単語の一部が定冠詞とまちがえられた有名な例があるのです。多少、アラビア語をカジッたヒトならば、容易に察しがつくでしょう。


   الاسكندر al-Iskandar [ ʔælʔis'kɑndɑr ] [ アるイス ' カンダル ] 「アレクサンドロス大王」


ですね。同様に、エジプトの都市 「アレクサンドリア」 は、


   الاسكندرية al-Iskandarīya [ ʔælʔiskɑndɑ'ri:ja ] [ アるイスカンダ ' リーヤ ] 「アレクサンドリア」


となります。


〓こうなったプロセスは、次のように考えられています。



   Ἀλέξανδρος Aléksandros [ ア ' れクサンドロス ] ギリシャ語
     ↓
   الكسندر ʼAliksandr(u) [ アりク ' サンドル(ゥ) ] アラビア語
     ↓
    ※アラビア語は3子音が続くことを許容しない
     ↓
   ʼAliksandar(u) [ アりク ' サンダル(ゥ) ]
     ↓
    ※語頭の al- が定冠詞にすり替わる
     ↓
   al-ʼIksandar(u) [ アるイク ' サンダル(ゥ) ]
     ↓
    ※アラビア語では ʼiks- より ʼisk- で始まるほうが安定的らしい
     ↓
   al-ʼIskandar(u) [ アるイス ' カンダル(ゥ) ]
     ↓
    ※定冠詞を取ると
     ↓
   اسكندر ʼIskandar(u) [ イス ' カンダル(ゥ) ]



〓これで、「アレクサンドロス」→「イスカンダル」 のイッチョ上がりです。



〓この逆の例は、もっとたくさんあります。逆の例というのは、定冠詞 al- のついた単語が、 al- のついたまま西欧諸語に借用されたものです。



   alkali 「ソーダ灰」。中世ラテン語
      ← القلى al-qilī [ アるくィ ' りー ] 「塩性植物を焼いた灰」、「ソーダ灰」


   alcohol 「金属の微細な粉末」。中世ラテン語
      ← الكحل al-kuḥl [ アるクふる ] 「目の縁に塗るアンチモニーの粉」


   alchemy <英語> ← alchemia 「錬金術」。中世ラテン語
      ← الكيمياء al-kīmiyāʼ [ アるキーミ ' ヤーッ ] 「化学、錬金術」
         ※アラビア語は、ギリシャ語から借用したと考えられている。


   algebra 「代数学」。中世ラテン語
      ← الجبر al-jabr [ アる ' ヂャブル ] 「折れた骨を整骨すること」、「修復、正常に戻すこと」


   algorism <英語> ← algorismus 「アルゴリズム」。中世ラテン語
      ← الخوارزمي al-Khwārizmī

               [ アるふワーリズ ' ミー ] 「ホラズム出身の人」。ペルシャの数学者の姓 (ニスバ)


   almanac <英語> ← almanac(h) 「暦」。中世ラテン語
      ← المناخ al-manākh [ アるマ ' ナーふ ] 「気候」


   Altair 「アルタイル」。中世ラテン語
      ← الطائر aṭ-ṭāʼir [ アッ ' たーイル ] 「空を飛ぶ」 flying
        ※本来は、النسر الطائر an-nasru-ṭ-ṭāʼir [ アン ' ナスルッ ' たーイル ] 「空を飛ぶ鷲」。
         後半の 「定冠詞+形容詞」 のみ取り出してしまったもの。


   Aldebaran 「アルデバラン」。中世ラテン語
      ← الدبران al-dabarān [ アるダバ ' ラーン ] 「後を追うもの」
        ※本来は、アラビア占星術の 「宿曜」 (すくよう=Lunar Mansion) の第4宿を指した。



〓アラビア語の定冠詞 al- は、なぜか、こんなふうに、「西欧←→アラブ」 のインプット/アウトプットにおいて、奇妙なカン違いの原因になってきたのでした。


〓ってなワケで、「ロレンス」 は 「オレンス」 という名前に、アラビア語の定冠詞 ال al- が付いたものに聞こえたかもしれない、のです。特に、 ʼismī 「イスミー」 など母音で終わる単語が先行していれば、なおさらです。


   al-ʼOrens → l-ʼOrens




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