「チェブラーシカ」。名前の由来。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

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〓 2006年1月に、渋谷のユーロスペースで、


   “チェブラーシカ” の最終上映


がおこなわれました。がばい混んどりましたねえ。ユーロスペースの狭いロビーに立錐 (りっすい) の余地なし。アトにも先にも、あんな “オイルサーディン缶” みたいなユーロスペースは見たことがおません。


〓年じゅう映画館に通っておりますと、ときどき、この


   「日本最終上映」


というものにデッくわします。よく、「海外の映画を買い付ける」 という言い方をしますが、これは “上映権を買う” ということらしいんですね。そして、この “上映権” には期限があるらしい。



            映画          映画          映画



〓ロシアから米国に移住したオレーグ・ヴィードフ Олег Видов ── ソ連=ロシアの俳優。1961~2007年のあいだに41本の映画に出ている ── の所有する米国の会社


   “Films by Jove”  と
   “ソユーズムリトフィーリム” (Союзмультфильм 連邦動画スタジオ)


とのあいだで、1992年、ある契約がかわされました。それは、


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   Films by Jove が、“ソユーズムリトフィーリム” の代表作 547本の
   CIS を除くすべての地域での権利を、今後、10年間、有するかわりに、
   純利益の 37%を “ソユーズムリトフィーリム” に支払う

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というものでした。


〓ところが、Films by Jove は、サウンドトラックを差し替える費用とか、訴訟費用、海賊版対策費用に純益を使ってしまったとして、


   経理上、まったく利益をあげなかった


のです。つまり、“ソユーズムリトフィーリム” には一銭も入ってきませんでした。



〓現在、両者は係争中です。アニメーションの権利じたいは “ソユーズムリトフィーリム” に戻っていると考えられるものの、物理的なフィルムそのものが Films by Jove にあるため、現在、アリシェール・ウスマーノフ Алишер Усманов というウズベク出身のロシアの “ビジネスマン” (ロシア語では 「怪しい儲け仕事で荒稼ぎするヤカラ」 という語感があります) が “交渉人” としてあいだに入ってフィルムの買い戻しの価格談判をしているところだそうです。


〓ソ連邦のアニメーションの場合、こうしたモメゴトがあるうえに、『チェブラーシカ』 の場合は、原作の絵本の作者であるエドゥアルド・ウスペンスキイ Эдуард Успенский Eduard Uspjenskij が、「チェブラーシカというキャラクターの著作権」 を主張したために、「チェブラーシカ」 周辺の権利関係というのは、ワケがわからない状態になっていました。



               カチンコ          カチンコ          カチンコ



〓この乱麻状態の中、日本の 「テレビ東京ブロードバンド」 と 「フロンティアワークス」 という2法人が、2006年に 「チェブラーシカ・プロジェクト」 というものを立ち上げ、すべての問題を解決して、CIS を除く地域の権利を取得したらしいのです。そして、その配給元として、「チェブラーシカ・プロジェクト」 は 「スタジオジブリ」 と契約をかわした、というのが、今日までの経緯 (いきさつ) です。


〓現在、渋谷のシネマ・アンジェリカで公開されている 「チェブラーシカ」 は、“デジタルリマスター版” で、しかも、



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   『チェブラーシカ学校へ行く』 第4作 (1983)




劇場初公開です。もうチェブラーシカは見た、というヒトも、第4作を見る価値があるかもしれません。第4作ではあるものの、ハナシの前後関係から、映画館では2本目に上映されます。


〓今回、上映される4本で、チェブラーシカ4部作は完結です。






  【 “チェブラーシカ” の語源 】



〓「チェブラーシカ」 の名前の由来は、みんな、“知っている” ようです。パンフレットに書いてありますから。



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第一話 『こんにちはチェブラーシカ』 ロシアのある果物屋さんが、オレンジの木箱を開けると中から奇妙な動物が! おじさんは “パッタリ倒れ屋さん” という意味のチェブラーシカと名づけ、動物園に預けようとするものの、学問上不明の生き物なので断わられてしまいます。……
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〓みんな、パンフからの子引き、孫引きなので、一様に 「ぱったり (パッタリ) 倒れ屋さん」 となっています。






  【 「チェブラーフ」 という擬音語 】



〓ロシア語にも 「擬音語」 があります。


   мяу mjau [ ' ミャ(ー)ウ ] ニャー (ネコの鳴き声)
   бум-бум bum-bum [ ' ブム ' ブム ] ゴーンゴーン (鐘)、ドーンドーン (大砲)
   бах bakh [ ' バふ ] ピシャリ (たたく音)


〓こういう単語の1つとして、чебурах があります。



   чебурах cheburakh [ チブゥ ' ラふ ] バッタリ、ドスン (倒れる音・落ちる音)



〓こういう 「擬音語」 の中には、 -нуть -nut' [ -ヌッチ ] を付けて動詞をつくることのできるものがあります。


   хлоп khlop [ ふ ' ろップ ] パタン、ピシャリ、ポン
    ↓
   хлопнуть khlopnut' [ ふ ' ろップヌッチ ] ピシャリとたたく


〓こういう単語を 「動詞的 間投詞」 と言います。 чебурах 「チェブラフ」 も、その1つです。


   чебурахнуть cheburakhnut' [ ちブゥ ' ラふヌッチ ] ドスンと落ちる、バタンと倒れる


〓この動詞は、こんなふうに使います。



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Он сидел, сидел, смотрел по торонам, а потом взял да и чебурахнулся со стола на стул.  Но и на стуле он долгоне усидел — чебурахнулся снова.


彼は、ただただ座って、あたりを見回していた。それから、突然、テーブルから椅子にドスンと腰を落とした。だが、椅子に座っている間もなく、ふたたび、ドスンと床に落ちた
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〓ところが、このロシア語の 「動詞的 間投詞」 には、おもしろい性質があって、「動詞の接尾辞」 をつけずに、「擬音語」 そのもので、「動詞の過去形」 の働きをするんです。ロシア語の文法でも、例外中の例外でしょう。


〓日本語にすると、こんな感じです。


   彼女が、彼の頬を 「ピシャ」。 (=ピシャッとたたいた)


〓実際には、動詞の -нулся, -нулась, -нулось [ -ヌるサ、-ヌらシ、-ヌらシ ] を省略するのと同じことになります。こんなふうに使います。



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Поехала по мосту, только добралась до середины - мост обломился, и баба- яга чебурах в реку;   тут ей и лютая смерть приключилась!


橋を渡って、やっと真ん中までたどり着いたところで、橋が折れて、バーバ=ヤガーは、川にバシャンと落っこちた。ここにおいて、彼女にも残忍な死が訪れたのだ!
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「バーバ=ヤガー」 というのは、ロシアの民話に登場する “森に住んでいる妖婆” のことです。



    баба-яга чебурах в реку 

    「バーバ=ヤガーが」 「バシャン」 「川へ」
     → 「バーバ=ヤガーが、バシャンと川へ落ちた」



というところに 「動詞的 間投詞」 чебурах cheburakh 「チェブラフ」 が使われています。日本語で 「逐語訳」 したとおり、動詞の語尾がありません。






  【 「擬音語」 から 「愛称」 をつくる 】



〓これで、чебурах 「チェブラーフ」 がどういう単語か、納得していただけたでしょう。


〓ロシア語で 「愛称」 をつくる基本的な接尾辞に -ка -ka [ -カ ] (~ちゃん) というものがあります。たとえば、Виктор Viktor [ ' ヴィークタル ] という男子名に -ка をつけると、Викторка Viktorka [ ' ヴィークタルカ ] という愛称ができます。


〓果物屋のおじさんは、чебурах 「チェブラフ」 と倒れる生き物の 「チェブラフ」 に、愛称の -ка をつけて、名前をつくったんです。


   чебурах   -ка  cheburakh + -ka [ ちブゥ ' ラーふ ] + [ -カ ]


〓ここから、ちょっとムズカシクなります。チェブラーシカ・ファンはついて来られるかな?



               チェブラーシカ2          チェブラーシカ2          チェブラーシカ2



〓愛称をつくる接尾辞を 「指小辞」 (ししょうじ) と言います。現代ロシア語では、 -ка -ka [ -カ ] という語形をしていますが、古くは、


   *-ька -ĭka [ -イカ ]


だったと思われます。と言うのも、これに対応する男性形が、


   -ик -ik [ -イク ]


だからです。つまり、古い時代のロシア語で、


   *-ькъ kǔ [ -イクゥ ] 男性形
   *-ька -ĭka [ -イカ ] 女性形
   *-ько -ĭko [ -イコ ] 中性形


だったものが、弱い母音であった ь ъ が脱落したために、


   -ик -ik [ -イク ] 男性形
   -ка -ka [ -カ ] 女性形
   -ко -ko [ -カ ] 中性形


となったわけです。男性形は、語末の弱いウである ъ (ǔ) が消失したので、音節をささえるため、先行する弱いイである ь (ĭ) が強化されて и (i) になったワケです。


〓実際、これに対応すると思われる、古典ギリシャ語、ラテン語の接尾辞は以下のとおりで、いずれも k の前に i があります。



   【 ギリシャ語 】
   -ικος -ikos [ -イコス ]
   -ικᾱ -ikā [ -イカー ] (→ -ικη -ikē
   -ικον -ikon [ -イコン ]


   【 ラテン語 】
   -icus [ -イクス ]
   -ica [ -イカ ]
   -icum [ -イクム ]



〓ロシア語の愛称をつくる体系には、そういう古い時代の記憶が残っていて、


   чебурах -ька cheburakh -'ka
      ↓
   *Чебурахька Cheburakh'ka [ チブゥ ' ラーヒカ ]


となります。


   チェブラーカ?


〓大木こだま師匠やおませんが、


   「そんなやつ、おらへんやろ!」


〓ならば、どーしたら “チェブラーシカ” になってくれるのか。実は、古い古い時代のロシア語では、


   хь kh' [ ヒ ] → ш sh [ し ]


と音が変わるのです。


〓ロシア語では、もともと、 к, г, х には硬音しかなく、軟音がありませんでした。 ── というか、これから書くように、軟音は “硬口蓋化” (こうこうがいか=日本語で言う 「拗音」 <ようおん> になること) を起こして、別の子音になってしまっていた ── つまり、


   хя khja 「ヒャ」、 хе khje 「ヒェ」、 хи khi 「ヒ」、 хю khju 「ヒュ」、 хё khjo 「ヒョ」


という音がなかったんですね。 ки, ги, хи があらわす音は、今の文字で言うと кы 「クィ」, гы 「グィ」, хы 「フイ」 という音だったでしょう。


   「あれ? духи “ドゥヒー” なんて単語もあるよ」


と言うヒトがいるかもしれない。これは 「複数名詞」 ですね。


〓ロシア語の 「複数主格」 の語尾は、本来、 「ウィ」 です。 к, г, х のあとでは  になる、という特別のルールがあるんですね。軟子音の к, г, х は、古代のロシア語で、いったん消滅したのですが、その後、 -е (-je), -и (-i) の前で、これらの子音は、ふたたび、軟音に変化して、今日のロシア語に至っているわけです。だから、 к, г, х という子音は、特別な扱いをされるのです。


〓古い時代のロシア語では、固い子音 х (kh) のあとに ь (ĭ) などの軟母音が付くと、 х が硬口蓋化 (拗音化) して、 ш (sh) となります。ロシア語を勉強したことのあるヒトは、チョイと思い出してみてください。


   -хь, -кь, -гь


という綴りを見たことがないでしょ?


〓古い時代のロシア語では、 ш (sh), ж (zh) は軟子音でした。むしろ、今の сь [ ], зь [ ] に近い音です。
с (s), х (kh) が口蓋化すると ш (sh) となり、 г (g), з (z) が口蓋化すると ж (zh) となりました。


   с (s) ь (ĭ) → ш (sh)
   х (kh) ь (ĭ) → ш (sh)

   з (z) ь (ĭ) → ж (zh)
   г (g) ь (ĭ) → ж (zh)


〓ですから、



   *Чебурахька Cheburakh'ka [ チブゥ ' ラーヒカ ]
      ↓
   Чебурашка Cheburashka [ チブゥ ' ラーしカ ]



となるのです。「チェブラーシカ」 は古くからあるコトバではないですが、ロシア語の 「愛称の造語体系」 そのものに、古代ロシア語のクセが残っているんですね。ロシア語は、ものすごく発達した 「愛称の体系」 を持っていて、そうしたルールが現代人にも受け継がれているわけです。



〓ロシア人の男子名に、「ミハイール」 という、よく知られた名前があります。


   Михаил Mikhail [ ミは ' イーる ]


〓この名前から、単純につくった愛称に Миха Mikha [ ' ミーは ] があります。


〓ロシア人の に終わる愛称を少し甘っタルくするには、語末の -а (-a) -я (-ja) に変えます。


   Миха Mikha [ ' ミーは ] → *Михя Mikhja [ ' ミーヒャ ]


ですが、ロシア語では、先に書いたとおり、 хя khja 「ヒャ」 という音が許されません。そこで、 х (kh) の軟子音にあたる ш (sh) を登場させて、


   Миша Misha [ ' ミーしゃ ]


となります。モスクワ五輪のマスコット 「子熊のミーシャ」 の 「ミーシャ」 です。



          チェブラーシカ          チェブラーシカ          チェブラーシカ



〓けっきょく、「チェブラーシカ」 というのは、



   Чебурах Cheburakh [ チブゥ ' ラふ ] 「ドスン、バタン」
      +
   -ка  -ka 「~ちゃん」
      ↓
   Чебурашка Cheburashka [ チブゥ ' ラーしカ ] 「バタンちゃん」



という名前なんです。


〓つまり、「チェブラーシカ」 が 「パッタリ倒れ屋さん」 というのは、どうも、「扮飾しすぎ」 だと思うんですね。


   「パッタリちゃん」


でいいんじゃないでしょうか。


〓ちなみに、ワニのゲーナは、ときどき、「チェブラーシカ」 を愛称形で、


   Чебурашечка Cheburashechka [ チェブ ' ラーしェチカ ]


と呼ぶことがあります。 -ечка -jechka [ -イェチカ ] というのは、愛称をつくる代表的な語尾です。こちらも同じように、


   чебурах cheburakh
     +
   -ечка  -jechka
     ↓
   *Чебурахечка Cheburakhjechka [ チブゥ ' ラーヒェチカ ]
     ↓
   Чебурашечка Cheburashechka [ チブゥ ' ラーしぇチカ ]


となります。