「ハムスター」 の語源。 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓「ハムスター」 というのは、

   ネズミ目 キヌゲネズミ科 キヌゲネズミ亜科

に属する約25種の齧歯類 (げっしるい) を言います。アジアからヨーロッパにかけて棲息し、そのうち、特に、中近東からヨーロッパ南東部にかけて棲息する


   ゴールデンハムスター
     golden hamster 英語名

     Syrian hamster [ ' スィリアン ~ ] 英語名
     Mesocricetus auratus 学名 (ラテン語)
           [ メソクリ ' ケートゥス アウ ' ラートゥス ]
                →「金色の中くらいのハムスター」 の意



がペットとして飼われます。

〓中世ラテン語では、「ハムスター」 を、

   cricetus [ クリ ' ツェートゥス / クリ ' チェートゥス ] 「ハムスター」。中世ラテン語

と言いました。これは、チェコ語から入ったものです。

   křeček [ 'kɼ̊ɛtʃɛk ] [ ク ' シェチェク ] 「ハムスター」。チェコ語
      ※現在の IPA ではチェコ語の ř を [ ] と表記する


〓この名前は 「痙攣 (けいれん) するもの」 という意味です。この cricetus という単語は、今、ペットとして飼われているゴールデンハムスターとは異なる種を指していました。
〓すなわち、西は 「ベルギー=アルザス」 を結ぶ線から、東はロシアまで、そして、南はルーマニアまでの、広大なヨーロッパの地に棲息し、大きさは、ゴールデンハムスターより大きく、モルモットほどあります。
〓リンネも、この種をハムスターの標準種と考えたらしく、学名を、

   Cricetus cricetus
    [ クリ ' ケートゥス クリ ' ケートゥス ]
     →「ハムスターにして、ハムスター」

としました。和名、英名は、


   クロハラハムスター (黒腹ハムスター)
     European hamster

     common hamster

     black-bellied hamster


です。

〓ゴールデンハムスターは、1930年代にシリアで発見されたハムスターがペットとして広まったもので、そのために Syrian hamster の名があります。つまり、1920年代まで、ヨーロッパで 「ハムスター」 と言えば、「クロハラハムスター」 のことだったわけです。
〓現代のヨーロッパ諸語で、 cricetus の系統の呼び名を使うのは、イタリア語および東中欧の諸言語です。

   criceto [ クリ ' チェート ] イタリア語
   criceto [ クリ ' セットゥ ] ポルトガル語

       ※現在では稀用。 hamster に移行している。
   křeček [ ク ' シェチェク ] チェコ語
   škrečok [ シュク ' レチョク ] スロヴァキア語
   hrčak, хрчак hŕčak [ 'xř̩:tʃak ] [ フ ' ルーチャク ] セルビア=クロアチア語
   hrček [ フルチェク ] スロヴェニア語
   hârciog [ フルチョグ ] ルーマニア語
   hörcsög [ ' ヘルチェグ ] ハンガリー語

   κρικητός [ クリキ ' トス ] ギリシャ語
     ※現在では稀用。 χάμστερ khámster に移行している。


〓ラテン語の後裔たるロマンス語では、イタリア語を除き、 hamster 系に入れ換わっています。

   hamster [ アムス ' テール ] フランス語
       ※ 1750年、ドイツ語より借用
   hámster [ ' アムステル ] スペイン語

   hamster [ ' アムステル ] ポルトガル語

       ※スペイン語と異なり、 a にはアクセント記号が付かない
   hàmster [ ' アムステル ] カタルーニャ語
   ――――――――――――――――――――
   Hamster [ ' ハムスタァ ] ドイツ語
   hamster [ ' ハムステル ] オランダ語
   hamster  スウェーデン語、デンマーク語
   hamsteri [ ' ハムステリ ] フィンランド語

   χάμστερ khamster [ ' はムステル ] ギリシャ語


〓ポルトガルは、ハムスターが棲息しないらしく、少し前までの辞書には、ハムスターを意味する語が見つかりませんでした。最近は、ペットとして人気があるようですが、正書法が追いつかずに、 hamster のまま使われています。
〓英語の hamster は、1607年、ドイツ語からの借用です。ゴールデンハムスターが飼われるようになったのが 1930年代からですから、x“hamster” というコトバが、現代日本人の言う “ハムスター” とは別物であったことがわかりますね。

〓古いゲルマン語では、次のような語形をしていました。


   hamustro [ ハムストロ ] 東部の古ノルド語
     ※ 東部 古ノルド語は、今のスウェーデン、デンマークの “古ノルド語” 方言。
   hamustra [ ハムストラ ] 古サクソン語


     【 古高地ドイツ語 】
   hamustro [ ハムストロ ] 1000年ごろ
   hamastra [ ハマストラ ] 11世紀
   hamestro, hamistro [ ハメストロ、ハミストロ ] 13世紀



〓この単語は、通常の借用関係とは、少々、異なったルートを取ったようです。


   スラヴ語 → 古ノルド語 (東部) → 古高地ドイツ語


〓現在のスウェーデンあたりのヴァイキングは、古い時代に、バルト海から黒海に抜けるルートを発見しており、交易に利用していました。
〓バルト海から、リガ湾もしくはフィンランド湾に入り、これらの湾に流れ込む川を遡上して、現在のロシア東部・ウクライナの川のネットワークを利用して、黒海に抜けていました。
〓860年ごろ、このルートを通って、東ローマ帝国のコンスタンチノープル (現在のイスタンブール) にヴァイキングが現れた、という記録が残っています。ヴァイキングはビザンチン帝国の傭兵としても雇われていました。
〓9世紀後半に建てられた、キエフ大公国の支配者の名前はあきらかにノルド語のものであり、ヴァイキングが支配層であったと考えられます。

〓通りがけの駄賃に、ヴァイキングがスラヴ語を拾っていったとしても、フシギではありません。

   хомѣсторъ khoměstorŭ [ ほミャーストル ]
       ロシアの教会スラヴ語。1073年。


〓これは、民衆が使うコトバではありません。ロシア人が正教を採り入れたときに、先に南スラヴで正教を採り入れていたスラヴ人の言語が仲介となりました。この言語は古ブルガリア語であり、ロシア語と同系の言語です。
〓ですから、当時のロシア人に取って、まるっきりチンプンカンプンのコトバというわけではありませんでした。しかし、語彙によっては、ロシア語に該当語がない場合もありました。
〓教会スラヴ語というのは、いわば、教会に関係する人たちのコトバであり、ロシア語よりも 「格が上の言語」 と考えられていました。
〓その関係は、日本語と漢文 (中国文語) の関係のようなものであり、漢文から多くのコトバが日本語に借用されたように、多くの教会スラヴ語がロシア語に入っています。


〓教会スラヴ語の хомѣсторъ khoměstorŭ [ ほミャーストル ] に対して、古ロシア語には、хомѣк khoměk [ ほミャク ] と言ったようです。

   хомѣсторъ khoměstorŭ [ ほミャーストル ]  教会スラヴ語
   хомѣк   khoměk   [ ほミャク ]   ロシア語



〓おそらく、 хомѣк 「ホミャク」 というのは、「ホミャストル」 を口語的に短くしたものではないかしらん。現代スラヴ語で、

   *хоместор

   *хомистор

   *хомястор

という語形を残している言語はありません。現代語では、以下のようになります。


   хомяк khomjak [ は ' ミャーク ] ロシア語
   хом’як khom'jak [ ほミ ' ヤーク ] ウクライナ語
       хома khoma [ ほ ' マー ] ウクライナ語

   хамяк khamjak [ は ' ミャーク ] ベラルーシ語
   chomik [ ' ほミク ] ポーランド語
   хомяк khomjak [ ほ ' ミャーク ] ブルガリア語


〓ウクライナ語の хома khoma 「ホマー」 は、英語の Thomas にあたる男子名 Фома Foma [ フォ ' マー ] の民衆形 Хома khoma 「ホマー」 に引きずられたものでしょう。

〓スラヴ語の -ак, -як (-ak, -jak) という接尾辞は、「~の性質を持つもの」 という意味です。


   земля zjemlja [ ジェム ' りゃー ] 「大地」。ロシア語
     → земляк zjemljak [ ジェム ' りゃーク ] 「同郷人」
   дур- dur- [ ドゥル ] <語根> 「バカな、愚かな」。ロシア語
     → дурак durak [ ドゥ ' ラーク ] 「バカ」
   ――――――――――
   lysý [ ' りスィー ] 「ハゲの」。チェコ語
   лисий lisij [ ' りシー ] 「ハゲの」。ウクライナ語
     → Lysák [ ' りサーク ] チェコ人の姓。←「ハゲ」
     → Лисак Lisak [ り ' サーク ] ウクライナ人の姓。←「ハゲ」
   dvůr [ ド ' ヴール ] 「農場、農場の庭、領主の館」。チェコ語
       ※ただし、語幹は dvor-
     → Dvořák [ ド ' ヴォじゃーク ]
         チェコ人の姓。←「(農奴でない) 自由民」


〓この語尾は、ロシア語では、口語的な単語、方言語彙に多く見られます。つまり、民衆的な単語ということです。おそらく、「ホミャーストル」 は長いので、頭の音節を取って、それに -як 「~ヤーク」 を付けたんでしょう。この語尾を持つものは、常に、 -як にアクセントがあり、斜格では、さらにアクセントが語尾に移ります。


〓では、古教会スラヴ語 (古ブルガリア語) の хомѣсторъ khoměstorŭ [ ほミャーストル ] は、どこから来たのか?


〓これについては、古ペルシャ語からではないか、と考えられています。これだけ長いのに、よく似た単語が古ペルシャ語に見つかるんですね。
〓紀元前7世紀ごろのゾロアスター教の聖典 『アヴェスター』 には、

   hamaēstar- [ ハマエースタル ] <語根> 敵対者、戦士
     ※『アヴェスター』 には hamaēstārem [ ハマエースターレム ]
       という対格形で6回登場する。

という単語があらわれます。現代ペルシャ語には見つかりませんが、近世ペルシャ語には、

   hamistār همستار ? [ ハミス ' タール ] 「敵対者」

という単語があります。


〓ペルシャ語のクダリはともかく、

   スラヴ語 (ロシア語) → 古ノルド語 (スウェーデン語)
      → 古高地ドイツ語 (ドイツ語) → 英語、およびヨーロッパ諸語

という経路は、かなり信憑性があります。

〓ゲルマン語からスラヴ語に入ったという説も見られますが、хомѣсторъ 「ホメーストル」 という、もっとも長くて、すり減っていない語形が、ゲルマン人と隣接するスラヴ人の言語ではなく、もっとも遠くまで南下した 「古ブルガリア語」 に見られる、というのは不自然です。
〓また、ゲルマン語で、「ハムスター」 系の語を持っていたのが、

   東部の古ノルド語、古サクソン語 (古低地ドイツ語)、古高地ドイツ語

という 「ひとかたまりの地域のゲルマン語」 に限られていた、というのも、ゲルマン語が起源ではないことを物語っていると思われます。


〓ということで、日本人がワリと知らないロシア語起源のコトバ、

   イクラ、セイウチ、ノルマ、コンビナート

「ハムスター」 を加えたいと思います。