英語の 「プラトン」 には、なぜ、n がないのか? | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓英文で、初めて 「プラトン」 という単語に出会ったとき、「アレ? 誤植かな」 と思った記憶があります。あわてて英和辞典に当たると、確かに、

   Plato [ 'pleɪtoʊ ] [ プ ' れイトウ ] プラトン

になっている。

   「なんでなん?」

と思っても、さて、こういうバヤイ調べようがないですよ。どうします? 百科事典で 「プラトン」 の項目を引いたって、英語で n を落とす理由が書いてあるハズがない。誰に訊く? 英語の先生も知らないだろうし、哲学者も知らないだろうなあ……

〓古代のギリシャ語では、「プラトン」 は、

   Πλάτων Platōn [ プ ' らトーン ] プラトーン

と言いました。日本でも、哲学書では、 「プラトーン」 と書いてあるのを目にします。

〓古典ギリシャ語の -ων n [ ~オーン ] という接尾辞は、「~を有するもの、~の性質を有するもの」 という意味、あるいは、「場所を指す」 接尾辞だったようです。



   Μαραθών Marathōn [ マラと ' オン ] マラトーン (マラソン)
     「ウイキョウの繁茂する場所」
        ← μάραθον marathon [ ' マラとン ] ウイキョウ

   Στράβων Strabōn [ スト ' ラボーン ] ストラボーン
     「やぶにらみの人」
        ← στραβός strabos [ ストラ ' ボス ] やぶにらみの

   Πλάτων Platōn [ プ ' らトーン ] プラトーン
     「(何かが) 平らな人、幅の広い人」
        ← πλατύς platys [ プら ' テュス ] 平らな、幅の広い


〓プラトンの名前については、


  「本名は、祖父の名をとったアリストクレースであり、
  プラトーンという名前は、レスリングのコーチであった
  アルゴスのアリストーンが、彼の立派な体軀 (たいく) にちなんで
  “プラトーン=幅の広い者” と呼んだのが起源である」


という説があります。日本では、なぜか 「肩幅の広い人」 という “ウンチク・雑学形” が流布していますが、この “肩幅” 限定にはナンの根拠もありません。
〓上の説を伝えたのは、ディオゲネース・ラエルティオス Διογένης Λαέρτιος という、

   紀元3世紀ころの伝記作家

であり、ナンとプラトーンの時代から 700年は経っており、この 「あまりに具体的な記述」 が信用に価するかどうかは、大いに疑問です。プラトーンの死後のヘレニズムの時代から、


  「“プラトーン=幅の広い人” は、
  その “雄弁さ” を言ったものである、
  その “ヒタイが広いこと” を言ったものである


などの伝承があります。早く言えば、

   「“何かが広い人” には違いなかったろうが、
   今となっては、それがナンなのか知りようがない」


ということです。

〓おっとっと…… 「プラトーン」 の語源のほうへ言ってしまった。




〓実を言うと、今日のハナシは、昨日の 「ミロ」 の件とネタが重なるのですよ。本質的には同じことなんです。ネタが重なるテンドンですね……

〓「プラトーン」 はラテン語では、こう言いました。

   Platō, Platōn [ プ ' らトー、プ ' らトーン ]

〓ほら、もう n が落ちてますよ。なぜ落ちるのか。

〓ラテン語の単語には、語幹 (名詞・形容詞が変化する際に、不変の部分) が -ōn 「オーン」 に終わるものがありました。たとえば、

   leō [ ' れオー ] ライオン

なんかがそうですね。ライオンを 「レオ」 と言うのは、ナンダカンダ言ってラテン語だけです。この leo の変化を見てみましょうか。


   leō [ ' れオー ] 主格。「ライオンが」
   leōnem [ れ ' オーネム ] 対格。「ライオンを」
   leōnis [ れ ' オーニス ] 属格。「ライオンの」
   leōnī [ れ ' オーニー ] 与格。「ライオンに」
   leōne [ れ ' オーネ ] 奪格。「ライオンから」


〓どうです? 語幹が leōn- であることがわかります。しかし、主格は leō です。なぜかというと、ラテン語は、名詞の単数主格が n で終わる場合、 n を落として発音していたんです。たぶん、発音しづらかったんでしょう。
〓ですから、 leō という単語の語末には、 「隠れた -n があるんですね。

〓このタイプの単語は、ラテン語では少なくありません。アタシら、よく知っている英単語の

   nation (← nātiō 出生、種族、人種、国民)
   station (← statiō 立つこと、位置、歩哨、立場)

なども、このタイプのラテン語に由来しています。
〓ラテン語の接尾辞 -ātiō(n) 「アーティオー(ン)」 は、動詞の語根に付いて、

  【 -ation
    動作。
    動作の結果として生じた状態。
    動作の結果として生じたもの。


を意味していました。

〓こうした 「隠れた n を持つ語彙は、「ラテン語→ロマンス語」 と “自然に” 受け継がれた場合は、 n が復活します。なぜかというと、

   ロマンス語は、ラテン語の 「対格」 を採用する

からなんですね。これは毎度おなじみの法則ですね。「物の名前」 というのは、日常会話では、圧倒的に 「対格」 ── つまり、「~を」 ── の形で使われます。なので、「対格」 が固定化するわけです。

   leone(m) [ れ ' オーネ(ム) ] ライオン
   natione(m) [ ナツィ ' オーネ(ム) ] 国民

〓対格の語末の m は早くから発音されなくなっていました。ロマンス諸語と英語は、驚くほど、この中世ラテン語形を受け継いでいるんですよ。

   leone [ れ ' オーネ ] 中世ラテン語形
   leone [ れ ' オーネ ] イアリア語形
   león [ れ ' オン ] スペイン語形
   leão [ れ ' アオん ] ポルトガル語形
   lion [ り ' ヨん ] フランス語形
   lion [ ' らイアン ] 英語形

   natione [ ナツィ ' オーネ ] 中世ラテン語形
   nazione [ ナッツィ ' オーネ ] イタリア語形 ※正書法が違うだけ
   nación [ ナすぃ ' オン ] スペイン語形 ※ c の古音は [ ts ]
   nação [ ナ ' サオん ] ポルトガル語形
   nation [ ナスィ ' ヨん ] フランス語形
   nation [ ' ネイシャン ] 英語形


〓ゲルマン語であるにもかかわらず、英語がこのような状態を示すのは、もちろん、ノルマン・コンクエストに始まるフランス人支配の結果です。

〓ドイツ語も、おそらくフランス語の影響のもとに、こうした -tion 系の抽象的名詞をたくさんラテン語から借用しています。ただし、中世ラテン語の発音を受け継いでいるので、

   die Nation [ ナツィ ' オーン ] 国民、国家

となります。 -tion に終わる名詞が “女性名詞” であること、また、アクセントを o に置くことなど、ラテン語の規範をそのまま導入していることもわかります。

〓ロシア語も -tion 系の単語については同様の借用をしていて、

   -ация -átsija [ -' アーツィヤ ]

で借用しています。

   нация natsija [ ' ナーツィヤ ] 民族、国民、国家

〓ロシア語は、古典語を借用する際に、 「語幹+対応するロシア語の性の語尾」 という方法をとります。しかし、ラテン語の -tiō に終わる単語の場合、最初に誰かが間違えてしまったのか、 -atsi までを語幹としてしまったようです。女性名詞なので  を付けますが、 i が先行するので  -ja とします。
〓ロシア語で、「ターミナル駅でない駅」 および 「地下鉄の駅」 を

   станция stantsija [ ス ' タンツィヤ ]

と言いますが、これも西欧諸語の station 系の単語を参考に、ラテン語の statiō から造語したものですが、語中に発音しやすいように -н- -n- を生じています。なんとなく、日本語の場合の、「ステーション」→「ステンショ」 を思い起こさせてユカイです。


〓と、ここまで見てくると、

   「やっぱり Platon じゃないと、おかしいじゃねえか!」

ってことになりまさあね。
〓ちょいと、「プラトン」 を現代の各国語で、どう言うか見てみましょう。


   Platone [ プら ' トーネ ] イタリア語
   Platon [ プら ' トん ] フランス語
   Platón [ プら ' トン ] スペイン語
   Platão [ プら ' タオん ] ポルトガル語
   Платон Platón [ プら ' トン ] ロシア語
   ──────────
   Plato [ プ ' れイトウ ] 英語
   Platon [ プ ' らートン ] , Plato [ プ ' らートー ] ドイツ語
   Plato [ プ ' らートー ] オランダ語



〓アクセントの位置で2つに分けることができます。上は、どうですか? leō や nātiō と同様に変化してきていることがわかりますね。ラテン語からの変化は規則どおりです。ついでに、ロシア語も正統的にラテン語の 「語幹とアクセント」 を継承しています。

〓そのいっぽうで、英語、ドイツ語、オランダ語のゲルマン語群は、ロマンス諸語の語形を受け入れていないのがわかります。これらの語形とアクセントが示すのは、あきらかに、

   Plátō [ プ ' らトー ] 古典ラテン語形

という古典ラテン語形ないし、

   Plátōn [ プ ' らトーン ] 古典ギリシャ語形

という古典ギリシャ語形です。


〓今日も、きのうと同様、ウロウロと説明してきましたが、英語の Plato に n が無い理由をヒトコトで言うと、

  古典ラテン語の語形をそのまま借用したから

と言えます。

〓最後に、ふたたび強調しておきますが、ドイツ語で Platon と言うのは古典ギリシャ語の形を引っぱってきたからですが、フランス語やスペイン語で、 Platon という語形を示しているのは、古典ギリシャ語をそのまま採用したからではなく、ロマンス語としての変化の “なれの果て” が、偶然、ギリシャ語の形と一致しただけ、ということです。