横綱日馬富士が貴乃岩に暴行し、貴乃岩が負傷した。この事件の報道、何かおかしい。
貴乃岩の言動が原因とか、けがの程度が誇張されたとか、そういう報道がやたらと多い。しかし、被害者にどんな言動があろうと、けがの程度がどの程度であろうと、暴行すれば暴行罪(刑法208条)、けがをすれば傷害罪(同204条)である。そして、被害者には、当然のことながら、けがの程度にかかわらず、被害届を出す権利も刑事告訴する権利もある。
貴乃花親方が、相撲協会に報告する前に、被害届を出したことを相撲協会の理事の方々(および外部評議員の某女性有識者)は、目くじらたてており、その意見に同調するようなマスコミのコメンテーターがいるのが、本当におかしい。
貴乃花親方を批判する識者は、「貴乃花親方は、貴乃岩の親方である前に、理事であり巡業部長である」という。相撲協会に報告したら、もみ消される可能性もある。もみ消したほうが組織(協会)の名誉のためにはよいかもしれないが、被害者は浮かばれないであろう。では、組織と被害者の保護者の立場、どちらを優先すべきか。
このように考えてみてはどうか。学校内で教員の子でもある生徒が他の生徒から暴行を受け大けがを負ったときに、被害者の親の教員は、親の立場と学校の教員の立場どちらを優先させるべきか。教員の立場を優先させたら、子は、親をどう思うだろうか。そんな親だったら、子にグレられても、将来介護が必要になったときに捨てられても仕方ないだろう。組織のことを考える人(相撲協会の理事・教員)は、たくさんいる。一方で親・親方は、一人だ。貴乃花が「親方」の立場を優先させたのは、むしろ、当然であろう。
一番解せないのは、加害者日馬富士の師匠である伊勢ケ浜親方の対応だ。貴乃花親方の態度にあからさまに不快感を示したコメントを堂々とマスコミにしている。さきほどの生徒同士の暴行の例えでいえば、加害者の親が被害者の親の態度に逆切れするようなものである。今般は、「日馬富士は成人で、相撲部屋の親方と未成年の親とは立場が違う。だから、このたとえは適当ではない」というむきもあるだろうが、伊勢が濱親方の監督不行届であることにはかわりない。
「貴乃花親方が暴行事件を利用して相撲協会にクーデターをおこそうとしている」などといううがった報道もある。むしろ、逆に、八角理事長が、貴乃花親方のエキセントリックな態度をことさらに強調してマスコミに印象操作をし、これを機に、自分と対立する貴乃花一派を追い出そうとしているような気がするのは、私だけであろうか。
とにかく、悪いのは、暴行した方だ。加害者よりも、被害届を出したり、被害者が組織に説明しなかったりすることをとがめるような風潮は、あってはならないことだと思う。