planet of aru

1999年4月20日に沖縄を離れ関西国際空港へ向かい、そこでタイエアラインに乗り換え、その日のうちにバンコクに到着した。
そして翌日21日の午前11時40分の便でインド・カルカッタへ。タイのドンムアーン空港のインド往き出発ロビーにはインド人が圧倒的に多くて、独特な香水の匂いが漂い、もうそこは既にインドだった。

その雰囲気の中、ジワジワとインドへと近付いていることを実感しはじめていた。

そして機上の人となり、3時間程でインド・カルカッタへ。
着陸すると同時にインド人の4、5名が拍手をし喜んでいた。その光景をみてポカンとしてしまったが、ちょっと微笑ましいとも思った。

とうとうインドに来たんだ。大嫌いな飛行機に3回乗ってようやく辿り着いたカルカッタ。全然知らない国に降り立った。本の中の世界とどれくらい同じで、どれくらい違うのだろうか?
そんなはやる気持ちを押さえて、空港で両替えを済まし、インドのオンボロタクシーに乗り込み行き先を告げた。

「サダルストリートまで」

「ノープロブレム」

その返事を聞きちょっと可笑しな気分になった。何故ならばインド関係の本に、インド人は不可能な時でも「ノープロブレム」と言い、インド人特有の首を横にかしげる仕種をすると書いてあったことを思い出したからだ。首を横にかしげるのは「YES」という意味だ。

そうして車はブロロロッ・・と不快な音を立てながら走り出した。外観も中身もオンボロなその車のクーラーは当然壊れていて、窓を開けても外から入ってくる風は砂埃まじりの熱風。当たり前だが、車内のシートは焼けるように熱い。その熱いシートに座っていると身体中から汗が吹き出してきた。気分を落ち着かせようと思って吸ったタバコは暑さをますばかりだ。

ドライバーのインド人はそんな私とは逆に澄ました顔で
「インドは初めて?」「日本人?」とありきたりな質問をいくつか投げかけてきた。

そして「そのタバコを1本ちょうだい」と言った。

ドライバーは、私がメンソールのタバコを一本差し出すとすぐタバコに火をつけ「インドのタバコより軽いね」と笑い、壊れかけのカセットデッキにテープをガチャリと入れた。スピーカーから流れ出したのはインドポップス。
ドライバーは上機嫌でインドポップスを口ずさんでいる。
気分は一気に盛り上がる。いかにもインドなその軽快なリズム。クラクションは鳴らしっぱなし、人をよけ牛をよけて走るオンボロタクシー。初めて肉眼で見るインドの景色は砂埃のせいか赤茶けて見え、まるで古い映画フィルムを観ているようだった。

インドだ・・・と呟く、でも凄い衝撃はない。サダルストリートに到着するまでは気が抜けないなと思っているせいかもしれない。

赤茶けた景色を見続け、1時間ぐらいしてやっとサダルストリートに到着した。ここは世界中から来る旅人が滞在する通りだ。狭く短い通りを中心に安宿やレストラン、バザールなどが集まっている。

まずガイドブックに載っていた宿を数件あたり、5件目ぐらいで何とかまともな宿を見つけた。
1泊570円(1999年当時)、シャワーとトイレは共同。部屋の天井は高く、その天井には大きなファン、ベッドの横には小さなテーブルと手を洗う場所、クローゼットがついている。そして部屋の表につけるカギはまるで倉庫の扉に付けるような南京錠。受けとったカギはズッシリと重たかった。

それでも当分の部屋が決まり一安心。水でシャワーを浴び、宿の人に近くのバザールの場所を教えて貰った。これからの旅で着る服を買いに行くのだ。今カバンの中にある衣服は上下合わせて一組。インドは物価が日本よりもはるかに安いので、現地で服を調達しようと思っていたのだった。

宿の人から教えて貰ったバザールは、宿から歩いて数分。狭く迷路のような路地裏を、浮き足立った気分でバザールへと向かった。

つづく。



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■印度へ。
インドとの最初の出合いは藤原新也の「印度放浪」という本だった。

それは私が高校生の時に知人から貰ったものだ。

当時インドのことなどあまり興味がなかった私は、その1960年代に撮られたインドの生々しい写真とそれを撮った作家の放浪の旅を、まるで異次元の世界のことのように感じながらも結局「こんな所もあるんだなぁ」という一言で済ませ、その本はずっと本棚に置いたままだった。まさかそのインドに20代後半も過ぎてから、自分一人で旅をしようだなんて当時高校生だった私は想像もしなかっただろう。

去年の12月に初めて海外へと出た私は、帰国後すぐ次ぎの目的地を探し出すため足しげく本屋へと通いつめた。そこで「地球の歩きかた・ネパール編」を手に取り、今度はネパールへ行こうと決めた。しかし、その本の中の「インドーネパールの国境の越えかた」というページに目が止まり、インドを思い出した。ネパールの前にあのインドへ行ってみようか・・・。

そして地球の歩きかた・インド編をすぐ購入した。

それからインド関係の本を何冊か買って読んでみた。藤原新也の「印度行脚」、横尾忠則の「インドへ」や椎名誠の「インドでわしも考えた」とか妹尾河童の「河童が覗いたインド」、そして遠藤周作の「深い河」。

どの本も刺激的で面白く一気に読み終えてしまった。そんな本を読むごとにインドへのイメージは膨らむばかり。ネパールへ行こうと思って買ったガイドブックは思わぬ方向へと私を引き寄せてしまった。

そうして決まったインドーネパール20日間の旅。今回は格安航空券を使う。タイエアラインの3都市周遊券。関空ーバンコクーインド(インドからネパールは自分で手配)ネパールーバンコクー関空のルートで35日間利用可能の航空券は77000円。宿は現地で探す。

その旅のルートの事などを考え想像するだけでワクワクしたが、勿論不安もあった。何故ならばどの旅行記にもインド人の日本人に対する対応の悪さは想像を絶するものばかりだったからだ。例えば、乞食に囲まれるとか、ボラれるとか、タクシーでも毎回料金のことで口論するとか、睡眠薬強盗の話しや、置き引き、スリなど。日本人というだけで定価の何十倍ものお金をふっかけてくるとも書いてある。
普段の生活で定価という概念が出来上がっている私にそれらの交渉がちゃんと出来るかどうか些か不安である。
そんな事ばかり書いてあるガイドブックの「現地でのトラブル」を読んでいると不安になるが、それでもそれ以外の何かに惹かれてしまい、結局は不安より期待の方が勝ってしまった。

ちなみにネパールはインドより旅しやすいと旅人の間で評判だ。それならなおさらインドに最初に入ってからネパールへ行った方が楽しそうだ。

イメージがイメージを呼び、さらに新しい何かを発見するかもしれない。

でも正直なところ「ただ行ってみたいから」と言うのが本音。「知らないから知りたいだけ、知りたいからそこへ行く」。全く大した理由はない、相変わらず私は単純な人間だ。

つづく。



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南静園の入所者たちは皆、そこで生涯を終える。
勿論、ここから出て行った人たちもいるが
今や入所者たちは高齢化する一方で、療養所は
いわば老人ホームのような形になっている。

帰る家などとうにない人達も沢山いることだろう。

病を伴い、後遺症が酷く家族から隔離され
ここで幼い頃から暮らしているのだ。

今や治る病気であるハンセン病も
昔は差別と偏見の目にさらされ家族からも
見捨てられ街から遠く離れたこの施設へと
送りこまれて来たのだから。

訴訟で勝ったことは勿論素晴らしいことだけれども
あまりにも遅すぎた。

皆、年をとりこのコミュニティーの中で
戦争を経験し人生を送ってきたのだから。

小さな隔離された世界で自分たちを守りながら
生きてきた人達。

帰る場所がどこにあるというのだ。

灰になってもここに残るのだろう。
(画像 療養所)