人を知りたければ、その人が何に対して怒るか知れ

好きな言葉のひとつ。

怒りとは自分の大切な何かが物理的か心理的か問わず攻撃されたり、ないがしろにされたときに生じる感情。
友人、恋人関係であるならば、怒らせる=自分のことを理解してくれていない存在と判断されることにもなる。

大切な何かとは、個人差がある。国や宗教によっても怒りのポイントは異なるし、育った環境や教育、過去の経験などによって変わる。
大半の人は相手の大切なものの基準を知らないうちは、一般常識を基準に考える。
それは怒らせられる側も同じであり、初対面であれば常識の範囲であれば多少の怒りは許せる。

常識すら持ち合わせていない人は、容易に人を怒らせてしまう。
得てしてそういう人は逆ギレしやすく、自らが怒りやすい人だ。
怒るという行為に対して、さして重要視していないのだろう。
有効な人間関係を保つということに重要性を感じていない人なのかもしれない。

怒りは自分の身や心を守る為に起きる感情であり、傷つけられそうになると身を守ろうとするのは当然のこと。

ある人と仲良くなりたい、もっと知りたいと思う場合において、何に対して怒るのかを知ることにより、
少なくとも敵とみなされることはなくなる。

『怒りは良好な人間関係を一瞬にして破壊してしまう精神的毒薬だ』ジョセフ・マーフィー

良好な人間関係を保とう、保ちたいと思うのであれば、相手が何に対して怒るかを知ることが一番重要であり、知っておく必要がある。

絶対的な価値観が存在するという思考が、怒りを買い争いを招く。

ある人にとっての善は、ある人にとっての悪であるよう。
ある人にとっての幸せは、ある人にとっての不幸であるように、人の数だけ価値観が存在する。

絶対的に正しいという価値観は存在しないということを知りて第一歩だ。