全ての認識は、電磁波、振動の変換だ。

五感で感じ取った振動パターンを脳で変換する。

目では可視光線、耳では周波数を、肌でも舌でも鼻でも。


しかしながら変換の際、知ってるモノにしか変換出来ない。

空気の振動である言語の場合、例えば日本語であれば、脳に日本語のソフトがインストールされている人であれば、振動パターンを変換することが出来、意味を理解することが出来る。

ただ他国語で脳にソフトがインストールされていない場合であれば、音としては聴こえるが、変換することが出来ず意味まではわからない。

気とは すなわち 振動、情報である。

例えば知らない言葉が空耳で聴こえた場合、または知らない音が聞こえた場合、脳内にない情報(音)だった場合で変換できなかった時、

人(脳)はそれを、気のせい として処理する。

言葉の通り 気のせい なのだ。

気を感じることは出来たが(この場合は音)、何の音なのか?どういう意味なのか?という変換が出来なかったということ。

全ての気を感じたり変換したり出来るようになるためには、膨大な知識、経験が必要になるのかなと思う。

なぜなら脳は、知っているもの(こと)しか変換出来ないのだから。


言葉に限らず、感情も振動であり、特定の周波数がある。

悲しい気持ち、嬉しい、楽しい、怒り、、その他。

これらも同じく、他者が起こっているかどうか?楽しんでいるかどうかを判断する際、

相手の感情の周波数を感じ、自分の脳で変換し照らし合わせ判断する。(エンパシーという能力)

相手の思考を把握するためには、色々な思考パターン、感情を知っておく必要がある。

映画、漫画、小説、ドラマ なんでも良いが、色んなパターンを知っておくことにより、変換出来る情報も増えて行く。


とすると、生まれながらに愛されたと感じる経験のない人は、

誰かに愛されても それを愛だと変換することは出来ない。認識できない。

ようは 気が付くこと が出来ないのだ。


この世の全ては情報であり、素粒子が振動してるかしていないかに過ぎない。

原子と電子の塊であり、光の反射でしかない。さらに電子と原子も中性子、陽電子、さらに素粒子の塊だ。

ただ、目の前にある一つの物質、たとえばコップがあったとしよう。

ただ単にコップ という情報の他に、誰かがそこに置いたという情報、どこで作られたのかという情報、何で出来ているか、いつ頃作られたのか、誰がどういう想いで作ったのか、コップという形になる以前はどういう形状だったのか?などなど、果てしなく情報が詰まっている。

家に帰ってご飯が出来て食卓に並んでいる。

この情報の裏側になる、愛、優しさという情報に気が付けるかどうか?

デートの際、いつもより化粧がマメだという情報に気が付いたり、その裏側にあるもっと好かれたい的な情報に気が付けるかどうか?(笑)

話している相手の目線の動きひとつで、相手が何を考えているか、集中していうるかどうか、嘘をついているかどうか、どこをどう気にしているか、などなど。

そういった能力はすべて気功に通じている。


色んな意味で、気を使える男 nippy。

というところを目指していきたい。

『ビビッときたら書くブログ』 by nippy