幸せとは、詰まる所ドーパミンの放出した際に感じる精神状態。

幸せの度合いはドーパミンの放出量に比例する。


当然、些細な幸せと感じる時も微量のドーパミンが放出されている。


放出のタイミングは人それぞれ個人差はあるけど、一般的に、

楽しい経験をした時、

嬉しい経験をした時、

気持ちいい経験をした時、

食事をして血糖値が上がった時、

お風呂に入った時、

プチプチをつぶした時、

レシートのおつりの数字がぞろ目だった時、

麻薬を打った時、

その他もろもろ。


いついかなるどんな時であっても、ドーパミンを出せば、検知出来れば脳は幸せと感じる。

事、麻薬に関しては 偽りの幸せ とも呼べるのかもしれないが、

脳にとっては偽りも真実もなく、ただ個人の価値観による違いでしかない。


ある人にとっての不幸は、ある人にとっての幸せでもある。

ある人の幸せはある人の不幸でもある。


全く同じ事象が起こって、同じ体験、経験をしたとしても、人が違えば捉え方も違う。

例えば恋人と大喧嘩の末、別れることになったとして、

それを不幸だと感じるか、幸せだと感じるかは、個人の視点の差でしかない。

振られた側として、なんでこんなに不幸なんだ・・・と感じるか、

あんな人と別れられて良かった!と感じるか。


2つの解釈の違いは、未来を見てるかどうか。それだけだ。


別れたから次の出会いがあるわけで、辛い別れは、より良い出会いのための良い経験となる。

将来の目標を定めてさえいれば、全てはそのための良い経験となり、不幸など存在しなくなる。


自分より不幸な人、劣ると思える人を探しては、安心するという思考回路が増えているように感じる。

楽をして生きて行きたい。現状をずっと維持したい。ずっと子供のままでいたい。考えるのがめんどくさい。誰かに道を示してもらってそれに従い、自分で選んだという責任を取りたくない。失敗したくない。etc...

世の中に不幸など存在しないように、失敗も存在はしない。

例えばダイエットに関して、色々やってみたが体重が減らなかった、リバウンドした。などということは、

今のやり方では減らない、うまくいかないということがわかった!という良い経験だ。

この世が物理的法則で成り立っていて、自然の法則が常に一定である以上、科学に反した結果が出るということはない。

太ることをするから太るのであって、太ることを止めれば自動的に減る。

それだけのこと。


1年後、5年後、10年後の目標をしっかり立てることが出来れば、

今まで不幸と思ってきた全ては、そうなるための良い経験に変わる。

それだけのこと。


あれ?なんか言いたかったことと違うことを書いている ( ̄□ ̄;)

ドーパミンの放出量を自在に操れるようになったら、いつでも幸せですよ!って言いたかった。




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