長南 年恵(ちょうなん としえ 1863年12月6日(文久3年10月26日) - 1907年(明治40年)10月29日)は、明治時代の霊能者、超能力者。現在の山形県鶴岡市出身。本名、登志恵(鶴岡市戸籍研究による)[1]。
20歳のころからほとんど食事をとらず、口にするものは生水程度であったという。また、空気中から神水などの様々な物を取り出すなど、多くの不思議な現象を起こしている。

『ビビッときたら書くブログ』 by nippy


24年間 不食。


成人してからも肉体的、精神的に少女のようであったという。また身辺には頻繁に神仏が現れ、会話をしたり、舞を舞っていたという。

元々小食であったが、20歳のころから全く食事をとらず、生水の他は生のサツマイモを少量のみという。
排泄物は殆ど無かったという。また汗や垢といったものも殆ど出ず、風呂に入らなくても髪や体はいつも清潔であったという。

空気中からとりだす神水は、密封した空の一升瓶の中に人々の目の前で満たしたという。この神水は万病に効くという。

べつに病人などではなく冷やかし等の目的の者と不治の病人には、神水は授からず、空瓶のままだったそうだ。

神水(霊水)の色について:赤、青、黄など様々な色があったそうだ。無罪となった裁判所での公判では、茶褐色。

1900年(明治33年)7月9日。全国紙新聞記者が懐疑の目を向け、目の前で霊水引寄せをしろと要求した。その結果、ひとりでに水が入ったのを認めざるを得ないという結論に至ったという[4]。



1895年(明治28年)、長南年恵は詐欺行為(神水を用いて、医師の資格なしに病気治療と称するを行ったとして)を行ったとして、逮捕された。
山形県監獄鶴岡支署に7月から60日間勾留されたが、証拠不十分で釈放されている。この勾留期間中、様々な現象が起きたという。


・勾留期間、一切の排泄物が無かった。入浴が許されていなかったが、常に髪は清潔であり、体臭も無く、良い香りがしたという。
・勾留期間、一切食事を取らなかった。
・完全に外部と遮断された監房内で、「神水」「お守り」「経文」「散薬」などを空気中から取り出したという。
・長期の拘留生活で足腰が弱って当然なのに、一升瓶15本分もある水の入った大樽を軽々と運んだ。
・収監者の中で、ただ一人蚊に刺されなかった
・複数の係官が不思議な笛の音を聞いたという。



というわけで、

不食と神水を出してみる実験をしてみる!!(*゚ー゚*)w

※期間未定