仮称)えろにっぴー

更新しました(笑)

今日は 緊縛&SM。

『SMは・・・!』


『あなたはSですか?Mですか?』


という質問があるが、考えた結果、

人は元来SもMもどちらも持ち合わせている。

割合的にどちらが多いか、どちらの方が好きなのかということはあるかもしれないが、
真性のSやMは人口の1%未満じゃないだろうか?

愛し合うとは、当然そこに愛が存在しなければ成り立たない。

Hにおける愛とは『相手を気持ちよくさせたい』という気持ちじゃないだろうか?
お互いがお互いを気持ち良くさせ合う。これこそが『愛し合う』という形だと思う。

マグロ女が居て、出したいだけのヤリチンが居たとして共にプレーをする。

これは広くとらえれば、愛されたこと、愛したことになるかもしれないが、
愛し合ったことにはならないと思う。

愛の存在しないHは、物理的粘膜の摩擦による快楽に追及ということだ。
ドーパミン分泌量もさして多くはない。

より快楽を追求しようとするならば、
精神的繋がりを感じた時のドーパミン放出量を追求するべき。

難しく聞こえるかもしれないが、
人の脳はシンクロする。他者の脳と同調するのだ。

話手の話術に引き込まれたり、宗教者の演説、教祖の作り上げる空気感。
それらは意図的に同調空間を作り上げている。または無意識的に同調を即している場合もある。

AVを観ている時に、男であろうと女であろうと、
興奮する場合は、男優、女優、どちらかの より気持ち良く感じている方の感情に同調して楽しんでいるはずだ。


一見、男は女を観て興奮するかのように思うかもしれないが、
フェ○ラシーン等では男の気持ちになり、
女は男を観て興奮すると見えるが、
気持ち良くなっている女を観て、同調して興奮を即す。
当然フェ○ラシーンでは男が感じている気持ち良さ(もしくは気持ち良くさせている女の気持ち)に同調して興奮する。

可愛い子が出演しているAVがあったとしても、
可愛いだけで感度が悪いAV女優には興奮を覚えない。

要は、以下に同調出来るかが快楽追求のカギとなる。

なので相手が攻めている間、要は攻められている間は、
余計なことを考えずに全力で感じることに集中することが愛。

攻めるときは、どうやったら相手をもっと気持ち良くさせられるか?を追求するのが愛。

それが『愛し合う』ということである。

SかMか?という問いがあるなあらば、攻めてる時はS、攻められてる時はMと答えるのが当然であり、どちらも全力で攻めて、感じる。

そういう気持ちの操作は誰でもできるはずだ。

自分はMだから~Sだから~ という固定概念は捨て、
攻める楽しみ、攻められる楽しみ、どちらも追求してこそ、
真のエロスの追求者となるのだ。


知らんけどw持論です (/ω\)