全ての人を幸せを願う

ということはその中に快楽殺人者等も含まれる。

快楽殺人者の幸せとは、人を殺せるということだと思うので、その人を幸せにするということは殺される人が一人必要になる。

その殺される人が殺害されたい願望を持っていれば、双方幸せとなる~ (*゚ー゚*)

殺す幸せ
殺される幸せ

幸せの価値観ってそれぞれです。


幸せ=ドーパミン分泌 

だとすれば、自力でドーパミンを出せれば常に幸せだ。

不幸も幸せも全く同じことを、視点を変えて見たにすぎない。


不幸な人を無くすということは、不幸だと考える思考回路を変える、変えてあげるしかない。

幸せを願う、幸せにしたいというエゴをつき通すのであれば、

宗教や哲学等の思考パターンを、催眠、洗脳技術で、相手の内部表現、思考回路を書き換え、プラス思考等に変えるしか方法はないのかもしれない。


『絶対幸せにするから!!』『幸せを願ってます』等

違和感を感じてならない。

ってたまに思う。

最小不幸社会 などという表現は最低だ。

幸せの価値観は人それぞれ。

そのようは表現は お金=幸せ としか思っていませんと言っているようなもの。


お金があるための不幸もあれば、

お金がないからこそ味わえる幸せもある。


幸せはするものでもなく してもらうものでもなく なるものだし 不幸などというものは存在しない。