深すぎて全てをまとめきれないのでわかったことだけわかりやすく!


西暦2011年=皇紀2671年(日本)

日本で現在の西暦(グレゴリウス暦)を採用したのは、明治5年(1872年)で、
明治5年12月2日の翌日を、明治6年1月1日(1873年)と定めた。

ということで明治5年は12月2日までしかない!

それ以前の日本の暦は、神武天皇(初代天皇)の即位を紀元と定めていた。(上記=現在は2671年となる。)


参照

太陽暦御頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト定メラルニ付十一月二十五日御祭典(明治5年太政官布告第342号)[3]
今般太陽暦御頒行 神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付其旨ヲ被為告候為メ来ル廿五日御祭典被執行候事
但當日服者[4]参 朝可憚事


グレゴリオ暦を採用した経緯としては、苦しい明治政府の財政事情があったらしい。
旧暦のままだと、明治5年は13カ月(閏年の関係)になるらしく、13か月分の給料を払わなければいけない。グレゴリオ暦を採用すると、12月2日までで良いため、11か月分の給料で済む。という単純(ではないけど)な話だったっぽい。





ゼロ戦という名前の由来

ゼロ戦が作られた年は、現在で言うところの1940年で、皇紀2600年。

軍用機の命名規則というのがあって、皇紀の下2桁を冠として使うという決まりがあるらしい!

よって2600年の下二桁 00 を使い、『零式艦上戦闘機』(通称 ゼロ戦)となった!

さらには同年制式採用兵器の数字は、一〇〇式(ひゃくしき)と称した。(陸軍、海軍とかで異なるっぽい)


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参照
制式名称
1942年以前
制式採用された場合の名称は「皇紀年号下2桁」+式+機種名となる。これは1929年(皇紀2589年)の「八九式」から1942年(皇紀2602年)の「二式」まで用いられた。1940年は皇紀2600年であるためその年に制式採用された機体は「零式」と称する。
1929年以前は元号の年が使用されていた。例として、一三式艦上攻撃機は1924年(大正13年)に制式採用された機体である。また皇紀年号による命名が始まった1929年は昭和4年に当たるため、元号年による命名は1928年(昭和3年)の三式(例:中島三式艦上戦闘機、A1N)まである。従って「二式」は1927年(昭和2年)制式と1942年(皇紀2602年)制式の2つがあることになる(昭和元年は数日しかないので昭和の「一」式は無い)。
1942年以降 [編集]
海軍機の制式名称は1942年の途中から物の名前による形式に変わった。命名基準は機種ごとに以下のように定められた。陸軍機の「隼」や「疾風」などは愛称であるのに対し、これは制式名称である。
戦闘機(甲戦)=風(強風、烈風、陣風など)
陸上・局地戦闘機(乙戦)=電、雷(雷電、紫電、震電、天雷など)
夜間戦闘機(丙戦)=光(月光、極光など)
偵察機=雲(彩雲、紫雲、瑞雲、景雲など)
攻撃機=山(天山、連山、深山、南山、泰山など)
爆撃機=星(彗星、銀河、流星、明星など)
哨戒機=海・洋(東海、大洋など)
輸送機=空(蒼空など)
練習機=草木(白菊など)
特殊攻撃機 晴嵐、橘花(これらは例外的命名)
特殊攻撃機(特別攻撃機)=花(桜花、藤花、梅花など)



西暦の話は次回へ続く。