▼病気利得

病気利得とは、病気でいることによって得られる利益のことである。小さい頃に風邪をひいて寝ていると、学校を休むことができるうえに、家族もやさしかった記憶はないだろうか。病気でいることは一方的に辛いだけではなく利益もある。

言い換えると、弱者でいることの利得、被害者でいることの利得、他者に依存できる利得である。誰でも一度や二度は仮病を使いたいと思ったことがあるはずだ。


▼パチンコ依存者は間違いなく依存利得にはまっている

パチンコ依存者についても同様のことが当てはまる。パチンコに依存することによって、金銭面、生活面、精神面で相当の不都合が生じ、ほとんど人生から転落することになる。しかし、同時にそこには利益もあるのだ。

パチンコに依存している限りは、目を逸らしたいことから逃げていられる。嫌なことを考えないで済む。不安を感じないで済む。大当たりで幼児的な快楽をえることができる。などなど。つまり、依存者とは、他の何よりもこういった利益を優先してしまう人たちなのである。

なるほど、パチンコがやめられないことによって表面的な意識では辛いと感じている。しかし、無意識では今のままパチンコに依存して安住していたいとする欲求が支配している。だからこそ、やめられないのである。


▼依存利得の欺瞞

このように、意識面での辛さと無意識における本音が分離してしまう結果、本人が意識的にコントロールできる範囲は非常に狭い。あたかも誰か他人に自分の意志が乗っ取られたかのように、自分で立てた誓いや決まりを簡単に破ってしまうことになる。

また、どれほどパチンコ依存から回復しようと決意しても、あくまで本音は「このまま依存していたい」という点にあるので、依存から抜けるための行動をしなくなる。心療内科にも行かない。自助団体にも参加しない。カウンセリングにも行かない。やめる環境に移動することもしない。新たなことを何もはじめない。。。。

他者からすると、本人がやめたいと言う割りには何一つ行動を起こさないので、冗談にしか聞こえない。あるいは、相当の愚か者にしか見えない。しかし、これが依存症なのである。ゆえに、依存症からの回復するためには、依存者本人がこういった欺瞞に気づく必要がある。


▼すべては依存するための言い訳

依存者とは「依存利得」を必死で得ようとする人たちということになるが、その結果、あらゆる手段を使うようになる。嘘は平気でつくようになるし、場合によっては軽犯罪も頻繁に起こる。また、逆に「依存利得」を正当化しはじめることもある。依存者が使う論法として以下のようなものがある。

・依存症は病気であり、自分は病人だ。(→だから、自分は依存し続ける)
・私の生育歴は恵まれたものではなかった。(→だから、自分は依存し続ける)
・私の親はひどい人だ。(→だから、自分は依存し続ける)
・私は今こんな酷い状況にあるんだ。(→だから、自分は依存し続ける)
・自分はキチガイであり異常者だ。(→だから、自分は依存し続ける)
・世の中、汚いことばかりだ。(→だから、自分は依存し続ける)
・人生なんて意味はない。(→だから、自分は依存し続ける)
・すべては虚しい。(→だから、自分は依存し続ける)


つまり、依存者は何を言っても依存の言い訳なのである。なるほど、依存は病気かもしれないし、悲惨な生育歴かもしれないし、異常かも知れないし、人生なんて意味はないかもしれない。しかし、そこから「パチンコに依存する」という行為を強引に引き出して省みることがない点に、依存者の依存者たる所以がある。


▼不幸へのダイブ

ご存じのように、世の中にはあえて不幸になるように日常をおくる人間が少なからずいる。あえて不健康なことをしたり、自分を不幸にするような人間にあえて近づいていったり、裕福でもないのにギャンブルに大金を注ぎ込んだり。

病気利得を得たい人はどうなるだろうか。まず、健康に気を遣わなくなる。次に、あえて病気になるように自分を仕向ける。そうしてできるだけ病気になって、日常生活から逃避し、弱者の立場に逃げ込もうとする。

しかし、それらの行為がけっして不思議ではないことは今までの説明で自然と理解されたと思う。ある種の人々にとっては、他人の不幸どころか、自分の不幸さえ蜜の味なのである。それらの愚かな行為によって得られるものがたしかにあるのだ。

ポイントは、本人が自分の欲求に気がついていない点である。不幸な状況を自ら招きよせていながら、なぜか悲惨な境遇に涙したり、運命を嘆いている。他者からみればまったく不可解極まりないことになる。

では、自分で気がついていないにせよ、そこまでして得ようとしたものは最終的には何なのか。パチンコ依存の場合は、依存という行為の幼児性から考えて、幼少期の安住や万能感ではなかろうか。そういったものを自覚し得ていない点に問題がある。


▼依存利得から抜けるためには

以上の点から考えて、パチンコに依存してしまった人が回復するためには、以下の点を考えてみる必要があることになる。

<認めるべきこと>
・パチンコに依存することによって自分は確かに得ているものがある。
・それを得るために、自分の人生を浪費している。
・その浪費を正当化するために、あらゆる詭弁を使っている。

<肝に銘じるべきこと>
・依存という行為は一切正当化不可能であること。
・依存という行為は金で解決がつく問題ではないこと。
・回復したいなら、何より行動すること。
・自分の意志ではほぼ回復不可能であり、積極的に他者と関わり、助けを求めること。


コピペ先http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/3875/byouki.html