ふと気になった『南無阿弥陀仏』

の 南無 と阿弥陀仏。

『ビビッときたら書くブログ』 by nippy



南が無い と書く ということは、死者の魂(生体エネルギー=電磁波の塊と捉えると)は、
地磁気(南極から北極へ流れる地球の磁気)に乗り、北へ行くと仮定すると、

南が無い=流れに沿って北へ進む(め) という意味が込められていて、その場にとどまるな 的な!
成仏・浄化の作用させる言葉なのだろうか?この世に留まるなー的な。早く北へ行って成仏せよ的な。

と思って調べてみた。

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ、南無阿弥陀佛、南無阿彌陀佛)とは、「南無」はnamo (sanskrit) の音写語で「わたくしは帰依します」と意味し、「阿弥陀仏」は、そのサンスクリット語の「無量の寿命の大仏 (amitaayus)」「無量の光明の仏 (amitaabha)」の「はかることのできない」という部分のamita (sanskrit) を略出したものである。『一遍聖絵』には「なもあみたふ」と表記されているので、鎌倉時代には「なもあみだぶ」と発音していたようである。
阿弥陀仏は、みずからの名号を称える者を浄土に往生せしめると本願に誓い、衆生の積むべき往生行の功徳のすべてを代って完成し、これを名号(南無阿弥陀仏)に収めて衆生に回向している。
善導は、「南無」の二字と「阿弥陀仏」の四字、合わせて六字に関する釈義(六字釈)で明らかにしている。親鸞はこれから「南無阿弥陀仏」は衆生が浄土に往生する因であるから、名号のいわれである「まかせなさい。必ず救うぞという仏の呼び声」を聞信すべきであるという。親鸞は名号を本尊とし、六字のほかに九字、十字の名号を書いている。ちなみに、親鸞は「南無」を「なも」と発音しているから、浄土真宗本願寺派では「なもあみだぶつ」と呼び習わしている。俗に「なまんだぶ」「なんまいだー」としばしば唱えられる。

                                          (byWik)

んーわかりづらい。。。

『南無』だけだと
南無(ナム)とは、サンスクリット語のナマス(namas)およびナモー(namo)の音写。意訳すると、帰命、帰依という意味、つまり命を捧げる、それほど大事に敬うという意味がある。

んーー 要は 帰る 帰れ という意味なのか。。

となると北(北極)はあの世への出入り口であり、オーロラあたりが冥界の門に当たるのかも?
霊的な地場のため気温がとても低いとかなんとかこんとか。


んで阿弥陀仏の阿弥陀ってなんだ?


サンスクリット語のアミターバ(Amitabha)、またはアミターユス(Amitayus)の訳で、無量光または無量寿と翻訳される。時間と空間を超えた無量の「寿(いのち)」の仏であり、その智慧は光明の如く暗闇を照らしてさえぎるものがないと讃えられる仏。阿弥陀はアミタの音訳。西方・極楽浄土にあって法を説く。浄土教の経典である「大無量寿経」の中で阿弥陀仏は、その前の名を「法蔵菩薩」と呼ばれている。阿弥陀仏には座像が多く、偏タン右肩の納衣、弥陀定印(上品上生印・心の安定をあらわす)を膝の上で結び、蓮華座の上で座禅を組んでいる像が一般的である。

うわ、阿弥陀ってただの当て字???

ということは、南無阿弥陀仏は全部サンスクリット語からきてて、すべては音写ということだ。



さらにーー 阿弥陀くじ のあみだって

名前の由来 [編集]

あみだくじの「あみだ」は、阿弥陀如来に由来する。あみだくじは、室町時代から行われていたが、今日のくじと違い、真ん中から外に向かって放射線状に人数分の線を書いて、それを引いたものであった。そして、これが阿弥陀仏の後光に似ていたことから、この名がついた。今日のあみだくじとは違っているが、名は今でも継承されている。



後光に似てるから@@

なんだーそうかーーー。


現代のあみだくじの形が、まるでフローチャートのような形式だから、てっきり『正しい道?へ導く』的な意味とか、『神の思し召し』的な意味があるのかと思った><


地磁気の流れと南無阿弥陀仏。

南が無い(=北へ行くしかない) ってところでもっと真理がありそうな気がする。。

独自の理論を構築してゆきたい。