怒る時だってあります。

普段は優しく諭すような言い方を心がけたり、なるべく不快感を与えないように、優しい言葉遣いで話すようにしてるつもりです。

完璧な人間なんて居ないと思うし、誰にだってミスがあることはわかります。

すべてをわかりあえるなんて思ってないし、わからないからこそ無意識に相手を傷つけてしまうことだってよくあることだとも思います。細心の注意を払っていたって、価値観の違いから意図せずして相手に不快感を与えてしまうことは、誰にだってあると思います。

そんなときに、相手に不快感を与えてしまったときに、素直に謝れるかどうか。

それが重要なんです。

相手の嫌がることをしてしまった場合、嫌われてしまうことを恐れるのは誰だってあるでしょう。

素直に謝れないということは、嫌われたままで良い。ということの裏返しだと感じます。


相手の喜ぶことをしたい!もっと喜ばせたい、好かれたい!という気持ちから起こす行動も素晴らしいことだと思います。それと同じくらい、嫌われない努力、相手が何に対して怒る人なのか、嫌がる人なのか、傷つく人なのか・・・を知ることの大事で重要なことだと思います。

自分も心の広い人間になりたいと、常々思って生きていますが、
さすがに、同じことを何十回も言ったうえで、同じ失敗や同じ嫌なことをされたときには、
言い方だって変わります。

言い方が悪いから言葉が届かない。という心理的な理論もわかりますが、
そういう言い方にさせるくらいこっちがイラついてることに気が付いてほしかった。
何十回も同じ嫌がることをされて、そんな人にも優しい言葉で対応できるほど、人間出来てません。

自分だって言いたくて言ってるわけじゃないし、そんな言い方をしたくてするわけじゃない。


イエスバッドよりもイエスアンド手法を使った方が良い。
なんてのは、仕事上の話。

個人的な人と人との付き合いなんて、イエスバッドが精いっぱいの言葉の選択だと思います。

世の中そんなに甘くない。


相手を傷つけたくない、嫌われたくない、と思うからこそ出てくる気遣い。
それが一番嬉しい気遣いかも。気持ちがうれしい。

相手に好かれたい、喜ばせたいという気持ちも当然うれしいけど、
喜ばせられた後に、また傷つけたり、嫌な思いをさせられたりする。
そうなると一瞬の嬉しさも忘れてしまうものだ。

その場では反省の弁を述べるが、何十回も同じことを繰り返す。
そりゃ最終的には、相手の堪忍袋の緒が切れて、見放され、見捨てられるのは当然のことかと思う。

自分の弱さ、悪さを認められる強さ。
欲しいものだ。


まー人のこと言えないけどねー(/ω\)w


※イエスバッド法
「イエス・バット法」は、相手の言い分をひとまず認めた上で、その要求を断る方法です。
例えば
「お気持ちはよく分かります。しかしながら、このような場合では○○の方がよろしいかと思います」
といった使い方ができます。

※イエスアンド法
『そういう考えもありますよね。あとはこういう考えもあると思います』
みたいな。


実際の会話の中では、イエスアンド法のような、そういう考えもある と言い切れないケースが多いと思う。

そういう考えはないですね。というようなことが多々@@

上辺だけの付き合いであれば、ないと思いつつ、ありますよねー。ということも多々あるけど、
一生付き合っていきたいと思う相手には、自分は納得できるまで話し合わないと付き合っていけません。


なので、違うものは違う。ないものはない。と、はっきり言ってもらって、納得できるまで話し合えた方が、自分はすっきり出来るような気がします。

どうでしょ?