一番町交差点から英国大使館横を抜け
内堀通りを渡ると竹橋へ抜ける
代官町通りがあります。
このルートで区役所に向かう途中の乾門で
天皇陛下をお迎えできることもあるので
一番好きな通りです
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大東亜戦争※終結までこの通り沿いの
土手に皇居を守る帝都防衛の要として
高射砲が設置されていました。
※戦後GHQが太平洋戦争と呼ぶよう強制した。
本来、大東亜戦争が正しく太平洋戦争
という日本語は存在しない。
最近は先の大戦と呼ぶことも多いようある。
この台座をおしゃれなベンチだと思ってる方も多いです。
花見の季節にはいっぱいで座れません。
分かるように看板を設置したいです。
千代田区観光協会HPによると
http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/68/EntryID/2338/Default.aspx
昨年、千代田区が発行した
「千代田区平和(戦跡)マップ」
をみてみるとこれは、
「九八式高射機関砲の台座」
であることがわかります。
マップによると、円筒中心に軸受が埋め込まれて、
360度方向に射撃可能なものだったとか。
まさに終戦を迎える昭和20年(1945)
皇居の直接防衛のために設置されたそうです。
しかし、B29などの高度からの爆撃には
歯が立たなかったそうです。
のどかなお濠沿いの土手に
戦後60年を過ぎ、今もなお戦時の記憶を静かに伝えています。
民間人を無差別爆撃した憎きB29に
本当に全く歯が立たなかったのでしょうか?
地元の先輩に聞くと
この高射砲によってB29が撃墜され
今のダイヤモンドホテル付近に墜落し
火事になり竹やりを持って駆けつけたと
という確かな証言を得ました
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私の記憶ではB29を世界で初めて撃墜したのは
零戦エースパイロット坂井三郎少尉
だったと思います。
坂井氏の世界的名著「大空のサムライ」は
まだ20代だった私に日本人としての誇りと
勇気を与えてくれた本です。
慰安婦だの南京虐殺等の捏造によって
日本の為に勇敢に戦った尊敬するべき
先人達の名誉を傷つけることは
絶対に許す訳にはいかないのです。