香椎宮の古宮と仲哀天皇大本営跡

香椎宮での初詣を終えて裏手に回ると 「仲哀天皇橿日宮蹟」の案内あり門をくぐって行く事に

すると「不老水 」なる レトロというかいい加減そうな案内板に徒歩7分とあり 『なんだか近所のひとが勝手に設置した看板じゃないのか~』と怪しいものが大嫌いな私はスルーすることにした。
今回記事するために検索したら 不老長寿で全国的に有名で 日本の名水百選のひとつとか 損した!!!!神功皇后の新羅遠征で功績のあった武内宿彌(たけのうちのすくね)が香椎在陣中に居住したと伝えられている屋敷跡で このひと300歳まで長生きしたそうです。来年行こーっと

鎮守の森を下ると道を隔ててすぐ小山があり「古宮址とあり階段をのぼる。」

社伝では仲哀天皇9年(200年)、熊襲征伐の途中橿日宮(かしひのみや、記は訶志比宮)で仲哀天皇が急逝したため、神功皇后がその地に祠を建て天皇の神霊を祀ったのが起源とされる。養老7年(723年)、神功皇后自身の御神託により朝廷が社殿の造営を始め、神亀元年(724年)に竣工された。この2つの廟をもって香椎廟とする。延喜式神名帳の記載はないが、『続日本紀』などの国史には香椎廟・香椎宮・樫日廟などの文字が見える。日本全国には「香」の一文字を冠した神社が多数あるが、ここ香椎宮から勧請した例も少なくない。
Wikipediaさんによると
要するにここは「仲哀天皇橿日宮蹟」すなわち皇居?ってことになりましょうか 亡くなられてここで祀られたので「香椎廟跡」ってことにもなります。
突き当たって右手に曲がると「仲哀天皇大本営跡 」とな

「大本営というのは天皇が戦争で指揮をとられた場所」ということで使われているのでしょうが 明治以降の言葉だしちょっとなー
仲哀天皇は日本武尊の息子だし配偶者が神功皇后、、記紀の中でも面白いところですから 福岡はよかところですばい。
以上
2011/1/18(火) 投稿