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雪の金沢へ④ 山代温泉「源泉」

マップを片手にぼちぼちと路地に入る。 温泉旅館脇の植木に雪吊と溝からは宿からの排水なのだろう湯けむりが立ち上っていた。雪国と温泉地であることがこの小さな路地にもあり風景として飛び込んで来て いま観光地にいるのだ 休暇をとっている自分を自覚。

日本での二つ目の神社「春日神社」鳥居をくぐって階段を登ろうと後ろを振り返ると 奥さんが待機している姿が見え 登りたくないのだなってことで折り返す。

路地を下ると観光地らしい歩道が整備された道に出る。脈略のない石仏が並んで わらで保護されている。石塔も同様。目的はなんだろう木なら分かるが 相手は無機物 寒暖の差からの風化防止?なのだろうか

源泉(足湯)のある公園に到着 案内板を撮影
源泉「薬壺の湯」Hot-Spring「Yakko no Yu」
霊峰白山火山脈の流れをくむ山代温泉は、今を去る1300年の昔。
神亀二年(725年)旅の僧行基が白山登拝の際、山代の里の通りすがりに
一羽の鳥が岩間から湧き出る湯に翼を癒す光景を見て温泉を発見したと
温泉寺略縁起が伝えている。山代の湯は古くから鳥の湯と称されるのは、
この開湯伝説による。
源泉は、その量一日約1000キロリットル、泉温は約64℃を保ち温泉浴殿を
はじめ各温泉旅館、ホテルその他の施設等に配湯されている。
白山の神仏を象徴する瑠璃光の輝きは湯けむりとなって浴する人々の
心身に浸透し疲れやストレスを必ずや発散してくれるであろう。
霊峰白山火山脈の流れをくむ山代温泉は、今を去る1300年の昔。
神亀二年(725年)旅の僧行基が白山登拝の際、山代の里の通りすがりに
一羽の鳥が岩間から湧き出る湯に翼を癒す光景を見て温泉を発見したと
温泉寺略縁起が伝えている。山代の湯は古くから鳥の湯と称されるのは、
この開湯伝説による。
源泉は、その量一日約1000キロリットル、泉温は約64℃を保ち温泉浴殿を
はじめ各温泉旅館、ホテルその他の施設等に配湯されている。
白山の神仏を象徴する瑠璃光の輝きは湯けむりとなって浴する人々の
心身に浸透し疲れやストレスを必ずや発散してくれるであろう。
「やくつぼ」かと思っていたら「やっこう」と読むのだとインプットしてわかる。足湯はタオル持参とあった。背景のオブジェは薬壺をイメージしているのだろう。

歌碑があった。
山代の泉に遊ぶたのしさをたとえて云へば古九谷の青
与謝野 寛(鉄幹)
早暁の湯の面は澄んでいる。身を沈めると言い知れぬ感動にふるえる。
目を閉じると、湯のさゆらぎが微かに身をゆすり、私は夢幻の境にさまようのだ。
追憶の場、未知の場。そこはいつも私がいる。これが《遊び》ということか。
そして快哉が去っても不思議に心に残るのは、幾度も《遊び》の中に現れた
凛烈の彩である。この地の先人が作りなした彩。雪に暮らす心象がえたものか、
その静寂の清純の杉。古九谷の青である。温泉の恵みと先人の功によって
起つ山代に、新たなる栄えのあることを、私は祈りたい。
現代歌人協会員 伊林 利子
与謝野 寛(鉄幹)
早暁の湯の面は澄んでいる。身を沈めると言い知れぬ感動にふるえる。
目を閉じると、湯のさゆらぎが微かに身をゆすり、私は夢幻の境にさまようのだ。
追憶の場、未知の場。そこはいつも私がいる。これが《遊び》ということか。
そして快哉が去っても不思議に心に残るのは、幾度も《遊び》の中に現れた
凛烈の彩である。この地の先人が作りなした彩。雪に暮らす心象がえたものか、
その静寂の清純の杉。古九谷の青である。温泉の恵みと先人の功によって
起つ山代に、新たなる栄えのあることを、私は祈りたい。
現代歌人協会員 伊林 利子
前回の記事のコメントで分かったが 山代温泉は《遊び》の場としてそうとう有名なんでございますね。
「古九谷の青」とはなんじゃらほいということでWikipedia参照あれ
九谷焼Wikipedia

老舗旅館の白金屋 創業380年 さすがそんな感じである。こんなところに泊まる 贅沢な身分にはなれそうもないなー
以上
2012/3/16(金) 投稿

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