にほんブログ村
筑紫山地一回り⑰ 嬉野「八天神社 石造眼鏡橋」

嬉野温泉街から博多に向かいスタート 途中神社ののぼりが見えてきたので立ち寄る

神社の参道に石橋が架かっていて解説の石碑ありそこからの引用
石造眼鏡橋
眼鏡橋として云うアーチ式石橋は寛永十二年に中国の僧如定が長崎に架設したのが日本で最も古く その後九州各地に広まったと云われているが 長崎に近い佐賀県内には極めて少なく殊に江戸時代のもので
完構を保つのはこの橋が県内唯一のものである。
この石橋は当社の千二百年大祭記念として当地の石候によって施工されたものである 文政九年二連アーチの眼鏡橋として計画されたが 結局一連アーチに偏向され巨石桟を両岸および底面に畳み基礎を堅固にして嘉永七年に完成した、この形式の石橋は江戸時代における中国文化の影響を物語る文化遺産として
注目すべき価値がある。・・・・・・
佐賀教育委員会
眼鏡橋として云うアーチ式石橋は寛永十二年に中国の僧如定が長崎に架設したのが日本で最も古く その後九州各地に広まったと云われているが 長崎に近い佐賀県内には極めて少なく殊に江戸時代のもので
完構を保つのはこの橋が県内唯一のものである。
この石橋は当社の千二百年大祭記念として当地の石候によって施工されたものである 文政九年二連アーチの眼鏡橋として計画されたが 結局一連アーチに偏向され巨石桟を両岸および底面に畳み基礎を堅固にして嘉永七年に完成した、この形式の石橋は江戸時代における中国文化の影響を物語る文化遺産として
注目すべき価値がある。・・・・・・
佐賀教育委員会
長崎の眼鏡橋は有名だが佐賀にも少ないがあるようだ しかし眼鏡橋が中国からの影響とは恥ずかしながら知らなかった。長崎はオランダと中国に開かれた港だったので 考えてみればそうなのだろう。宝来列島の南半分は 上海あたりを軸にして円弧状曲線の等位置にあるわけだ。


石橋の石工が作った狛犬がこの神社にあるそうだが写真にとっていない 調べたのは今 旅の準備ってのもある程度必要だなって痛感
以上
2009/5/19(火) 投稿
にほんブログ村