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台湾のこと②考古学
日本の縄文時代のころよりもっと台湾の少し古い話、台湾がフォルモサと世界に紹介される以前にも台湾には当然人が住んでいて生活を営んでいたというわけです。その遺構は台湾島内に点在し今ではそれが観光地にもなっていて身近に接することができる。このたびの話は 考古学的おさらい。
台湾の考古学の黎明は日本時代から始まった。1896年栗野傅之が台北芝山遺跡引き続いて伊能嘉矩及び宮村栄一が圓山遺跡を発見して以降この百年の出来事ですが それでもいまでは一千を越える遺跡が台湾島内全域に発見され 連綿と密度が高く人が住み この島は無人島であった時代はなかったのです。
この島の中でもっとも古い遺跡はというと 氷河期 まだ台湾が大陸と陸続きでつながっていた頃 5万年から1万5千年前の 台東の八仙洞「長濱文化」という旧石器時代後期の狩猟採取の遺跡がある。大陸と陸続きであったことから華南地方の旧石器文化の担い手が動物を追って住み着き 氷河が後退し 陸と切り離されたあとしばらくこの島で孤立発展するが しかし5千年前に消失してしまった。
それに続く新石器時代は1万4千年前の早期の「大?珪坑文化」から始まり4千5百年から3千5百年「芝山岩文化」「圓山文化」「老崩山系統文化」「牛罵頭文化」「牛稠子文化」「墾丁文化」「鹽寮文化」が中期の代表例で稲作が開始。後期は3千5百から2千年前で代表例が「圓山文化晩期」「植物園文化」「土地公山系統文化」「営埔文化」「大湖文化」「凰鼻頭文化」「卑南文化」「麒麟文化」「大坑文化」が代表例、なかでも」「卑南文化」が最大面積で石棺群や月形石柱などで知られている。
金属器時代は4千年前から2千年前の「十三行文化」「番子園文化」「大邱園文化」「鳶松文化」「亀山文化」「静浦文化」などがある。
文化とはある優れた民族がその範囲を広げるというより 場所がはぐくむもではないか 台湾もその例外ではないとこれらの遺跡の分布をみながら思う。当然そこには人がいるのだ。
17から8世紀 オランダ時代以降大陸からの大量移民が台湾に来る前に かなり多様な系統をもった 今の原住民や平埔族に直接通じる南島語系住民が台湾全体に居住生活をしていたことが抜歯の習慣や彩文陶器から伺える。
97%の台湾住民は大陸からの移民の子孫と政治的に教科書に書かれ 黄帝の漢民族の子孫とのみされるものは 日本人の99%は「漢民族と朝鮮族の混血」といったレベルの神話であり 考古学とはなんらつながりのない話。平埔族や原住民に関しては後にまわすとして、日本人が主な祖先は縄文人と弥生人で 日本列島に大和民族が移民したわけではない 日本人は日本列島でが誕生したのだ。そして台湾人はというと 原住民、平埔族に大陸からの移民の血が混じりながら台湾島で「台湾人」が誕生したわけだが こんな当たり前のことが前提とされない 一つの中国がこの島にはある。ただしこの架空の神話「一つの中国」は頭の中にあり 遺跡はない。
以上
2008/4/20(日) 投稿

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