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原爆で死ぬこと
YONHAP NEWS
米国防報告書、北朝鮮を「核保有国」と明記
【ワシントン8日聯合】米政府が北朝鮮を核保有国と認定しないとの立場を公にしているなか、米国防総省が毎年発表している報告書で、初めて北朝鮮を核保有国として明記した。このため波紋が広がっている。
・・・・・・・・・・・・ オバマ次期大統領も、大統領選挙中から当選後の現在まで、大量破壊兵器(WMD)拡散阻止の次元から、北朝鮮の核保有を認めないと述べ、強力で直接的な外交を通じ核問題を解決すると明言している。
報告書はまた、アジア諸国のうち韓国と日本、台湾を、早期に核保有国・地域となり得る能力を備えていると指摘した。
台湾も核保有国になりうる能力を備えているとの事 北朝鮮のような石器時代に逆戻りしながらでも 核保有国とは怖いものである。これで極東・東アジアの国で核兵器を自分名義で持たぬ国は 日台韓であり 持つ国は露中鮮ということである。実質持たない国は米国の核の傘の中 極東・東アジアは核のある状態だ。
私は 子供の頃と社会人になってあわせて 広島市に計15年近く住んだことから 原爆へ対する思いはかなり強いものがある。「核兵器によって死ぬこと」は「魂までも蒸発」ということであり死も与えられない即死を超えた蒸発であったと それは死を自覚する権利を奪われた 即死という表現も適用できない コンマ数秒での生命活動の機能停止でなく消滅という残酷さ 死ぬ瞬間に考えることも出来ない死という意味で実に残酷非道だ。また生き残っても放射能というものが細胞ひとつひとつ時限装置で破壊され 苦痛をこれほどまで与えられる死の執行は他にないだろう。また妊娠中の被爆による 「原爆小頭児」というのは 戦後生まれながら その罪を負わされた存在であり 一般非戦闘員の戦後の原爆症での死亡は 戦勝国といえども正当化の出来ぬことだ。
広島の爆心地より20KM以上離れている宮島は 原爆の爆風で厳島神社の石灯篭が爆風で倒れた写真なども残っている。原爆でさえ計り知れないエネルギー これが水爆になると一桁違うという。
宮島の南に位置する岩ばかりの小島が岩国沖に浮かんでいる 磯釣である豪快な潮をかぶることもなく 穏やかな瀬戸の波にウキをたらす為 ここに何度か渡してもらいチヌ釣りをした。この小島は岩国基地より瀬戸内に向けて飛び立った米軍のジェット機の空路の真下にあり 空が割れるほどの 凄まじい爆音を聞くことが出来る。直径1mほどのジェットエンジンの噴出し口から吐き出される 化石燃料利用がもたらす音でさえ耐えられる音量でないのだから 空気というものは質量をもつ凶器なんだと感じ 空気が質量を持つ限り 爆発のエネルギー量に比例しそれは遠くへ確実に伝わる。
平和念仏主義者と同じことを言うと 私も「核廃絶の願いを世界に伝えることは日本の使命」と私は思っている。しかしこれは米国の核の傘という恩恵を受けながら また日米安保の必要性を認めながらも 日本の将来核武装を わたしが将来支持することがあってもかわらない。
核の抑止力は 一般兵器を用いた大国間の戦争を抑止し これが結果 核を用いた戦争への発展を防ぐ手段であることは論理と実績が今のところ実証している。しかしこれ以上にひとは簡単なポカミスで大きな事故を引き起こすということは全てのものに例外なく適応できる法則であり 核の取り扱いも例外ではない。 取り返しのつかないことを起こすのではないかという不安もまた ただの心配の延長ではなく。核兵器のもつ危険性とは関係なしに人間の持つ能力の限界は知るべきだ。そして人間の判断というものは都合の良い主観でなされ 米国が原爆投下理由としてあげている論理は 当時の状況でさえも正当性は確認できないのである。そんな判断で核は投下の判断をされたという歴史しかない。
以前から話題に取り上げられる平和公園の原爆慰霊の碑文、『やすらかに眠ってください。あやまちはにどとくりかえしませんから。』というものがある。日本語でかかれていることから その主体が日本人であるととらえるのは 当たり前であるが 実に不自然である。当時の日本の国際社会へ復帰へという意識や 米国への過剰な気配りなども背景にあるのだろうが 後世へ続く世代へのメッセージとしては 危険な覇権国家の核からではなく 日本の持たざる核兵器の危険性へと思考が向いてしまうし 現実に正しくメッセージを受け止めらない念仏平和主義で日本は覆われているだけでなく 核廃絶させるという主体を失い これを政治の道具として用いるものが存在している。
原爆の碑文と同じくどこに主体があるのか忘れているのが「持たず、作らず、持ち込ませず」という言葉だ。「持たせない 作らせない 持ち込ませない」ならまだしもである。またそれ以上に「待たないとは言わず 作らないとも言わず 持ち込ませないとも言わない」という意思表示の方が 現実的に交渉の力を持つことは確かである。
池乃めだかが「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」といったところで袋叩きになるだけなのだ。
天皇陛下がいない日本国のビジョン2005/ 8/15投稿を編集
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2008/12/18(木) 投稿