独楽 | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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独楽


ベットの中で子供の頃よくまわして遊んだ博多の木コマのことを思い出す。どんなルールで遊んだのか思い出すのも一苦労の記憶 誰かに確認してみないと分からない。 
コマ遊びは勝負事 地面の具合や勝負の場面で戦闘機動を使い分け コマの大きさ、ひも、芯の長さの違うコマを取り揃えていた。
持っていた コマの特徴は色、形、手触り、キズまで今でも思い出せる 紐の先端のほつれさせ方まで鮮明に思いだすことが出来る。
そんなコマも遥か昔中学にあがった頃 母が「近所の子にあげたからね」とのセリフとともに永遠の別れとなる。

小学校を過ごした広島と博多ではコマの種類が違った。
広島のコマは鉄の枠がはまったコマで 重みがあり芯が細いので土の上ではまわらず 舗装された道路やコンクリートで拭いてある上での勝負となる。博多のコマは叩きつけるまわし方 コンクリートの上では衝撃から割れてしまうので 芯がめり込まない程度の硬めの地面で遊ぶ。踏み固められた地面がなかなか見つからない今の時代 博多コマの遊び場を探すのも難しいと。
コマを売っていた雑貨屋も今はない。
隣町まで自転車の荷台にコマを縛りつけ 勝負をつけに行っていた。
福岡出身の井上陽水さんの歌に『二色の独楽』というのがある。
「まわれまわれ 二色の独楽・・・・」という部分でさえ 博多のコマが2色付けが多かった。コマ遊びをしたことのない人にはこの「まわれまわれ」というフレーズもどんな気持ちか理解できないだろう。
郷土とか住んだ土地を共有することは こんなことかもしれない。
「まわれまわれ 二色の独楽・・・・」というような文章にさえも 土地や時間が限定され言葉となって現れてくる 日本語という国語というすさまじく悠久の昔から培われた知恵の玉手箱であるに相違ない。言葉の持つシビアな合理性は 整合性なき話法を洗いざらいさらけ出してしまものである。
国語教育強化とは発信・受信双方のルールの確認のようなもので。自分でルールを作る(造語)身勝手な迷惑行為の排除でもある。

こんなことから 台湾問題での某Hとの会話が成り立たないのは主義思想の問題ではなく 共通の歴史の体現としての国語使用者同士ではなく 音声記号としての翻訳された日本語の使用者との会話にありがちな国語の不一致の問題であったと確信する。

以上
2008/9/27(土) 投稿