1)社会主義との出会いと天皇 2004/ 5/ 6投稿 | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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1)社会主義との出会いと天皇 2004/ 5/ 6投稿

民族主義に考えが転向したのは高校2年の時だった。 中学校のころあった選挙では 投票権はないが共産党や社会党の議席獲得を一喜一憂していた。前田武彦が歌番組のエンディングで万歳(共産党万歳)して番組を下ろされた時なんかは立腹した。
なぜ それまで共産主義者だったかといいますと
幼稚園は福岡でしたが 近くの九大六本松校舎 ヘルメットに覆面、棒をもってジグザグデモ 赤影ごっこをしていた幼児にとっては それはそれはたのもしくカッコよい存在。
喫茶店の2階から眺めた光景はいまだに目に焼き付いていています。 このとき母から聞いた「ぜんがくれん」という言葉も。

小学1年は 広島市で入学、安保闘争上がりの先生が1年間ほど担任だった。 担任は中国がどんな国なのか、ソ連がどんな国なのか かなり単純にではありますが 王制の専制を打倒し 社会主義革命を経て「皆平等、金持ちも貧乏人もいない、医療費も家賃もない、そして泥棒もいない、綺麗な国」と子供にわかる言葉であったがこんなことを言っていた。 その頃の私の周辺は 原爆バラックの残る広島だった。 ニュースは 水俣、サリドマイド、イタイイタイ病、おじの家にはアサヒグラフ ベトナムベトナム戦争の悲惨さが日本にも伝わってきていました。上空を飛ぶかっこいい戦闘機は「あれは アメリカの飛行機」と親から教えてもらった。
「日本は戦争に負けたから」となんとなく日本の置かれている立場をしりました。
子供にチャンネル権などない時代 子供中心の番組作りのあまりない時代 ニュースはよくみた。
小学校2~3年で 沖縄返還、浅間山荘、三島事件とつづき(順番は覚えていませんが)自然の成り行きで 毛沢東とレーニン、スターリンの切手収集、クラスの子供達とは会話も成立しない状態 日本は敗戦をしたのに なんで「天皇」なんて王様がいるのか それもかなりカッコ悪い 3つ上の「ひろのみや」と2つしたの「あやのみや」がさん付け なんてへんな国なんだろう 気が付かない大人に教えてあげなきゃいけないなんて正義感を持つ。三島事件なんてさっぱり理解の範疇は越えていたが 「男の子は男らしく」という道理が当たり前の時代 作文に「男は 死ぬ時は切腹だ」なんて事を書いた。

そして成長して高校一年のノートには 幸徳秋水の言葉を書き込む。なんとなくインテリぶる。
左翼の理論武装などというのは 難しい言葉をひとつひとつ覚えてなりたつ子供の視点と思う。

左巻きの考えから解き放たれたのは
基本的には「大相撲」との出会い。
相撲好きがエスカレートして相撲博士を目指す。関連図書を20~30冊購入。奇怪な大銀杏、化粧回し、横綱、横綱の土俵入り、弓取り式、土俵祭り、ふんどし、相撲用語、行司装束、吉田司家の存在、歴代横綱には初代~三代目は架空の存在などなど 由来や歴史や角界用語に興味をもつ。

全てはこれで氷解。 大相撲は競技として全く不必要な不合理を堂々と抱えこれが魅力。 これがなければ「財団法人日本相撲協会」などは「ない」「存在する価値もない」。

「ちょんまげも競技として全く必要性はない」「レスリングのような近代的スポーツなら行司はレフリー」そのような正しい論理の主張と 左翼の反天皇は同じ次元。
年をとってリベラルな民主主義者を名乗ろうと 左翼なんてものは 小学校1年の私にほかならない。

以上
2006/3/21(火) 投稿