
にほんブログ村
二二八事件・白色テロと本願寺台湾別院(西本願寺)

本堂跡 土台だけ

輪番所

鐘樓

參道
前回 写真を整理できずに記事にしましたので改めて記事にします。火災で本堂周辺の施設も焼えたようでずいぶん距離が離れた鐘樓は半焼 輪番所も火災の跡が残っており保存状態は決してよくないのです。こんなものまで史跡指定する理由は 市政府の指定の理由を見ると。日本の仏教遺跡として歴史性や日本の仏教建築の様式として価値が有るとしているわけです。
しかし台湾人にとっては ここは日本と切り離しても ここは戦後国民党政府の「警備総部所所管」となり 秘密警察的に228事件から白色テロ期間にかけて 容疑者を収容、拷問 おそらく多くの人をしに至らしめた国民党政府の負の遺産ということから保存しているという理由が存在しているのです。
「御廟所」というのは日本人、台湾人の差別なく信徒の骨(喉仏?)を納める施設であったわけですが
国民党は 台湾人と外省人に関係なく 疑いをかけた者は容赦なくここで仏にしたというわけです。
所謂アウシュビッツになりますかね。当時はまだ仏教寺院の香りも残っていたでしょうに そんな場所でそんな殺しが出来るのが国民党なのです。親鸞聖人もさぞお嘆きでしょう 南無阿弥陀仏。
説明版から
由於西本願寺戦後為警備総部所所管 依據口述歴史的記録 ニニ八事件発生的前一年(即民国35年(1946年)辜振甫、許丙、林熊祥等曾被参加日本統治最後一任総督安藤総督召集会議的台籍代表 在民国35年(1946)3月就曾被逮捕拘留在西本願寺。根據同一記録 在民国36年(1947)二二八事件発生後 西本願寺成為關外外省人為主的黒牢 甚至被稱為「東廠」同一記録」亦推測 有許多人此遭受苦難 或喪失生命。至民国41年(1952)也有台湾人政治犯被送至西本願寺的口実記録。

樹心會館 御廟所跡
おまけで 台湾の西本願寺のことをネットであったっていたら天皇家のご親戚にあたる親鸞の末裔浄土真宗本願寺派の22世法主は興味を引く人物だったようでWikipediaから紹介引用いたします。
大谷光瑞Wikipedia
大谷 光瑞(おおたに こうずい、1876年(明治9年)12月27日 - 1948年(昭和23年)10月5日)は日本の宗教家。探検家。明治時代から昭和時代までの浄土真宗本願寺派第22世法主。伯爵。諱は光瑞。法名は鏡如上人。院号は信英院。大正天皇の従兄弟にあたる。・・・・・・・
第21世法主大谷光尊(明如上人)の長男として誕生。幼名は峻麿。貞明皇后の姉九条籌子(かずこ)と結婚。・・・・
法主としては教団の近代化に努め、日露戦争には多数の従軍布教使を派遣。海外伝道も積極的に進めた。また1913年に孫文と会見したのを機に、孫文が率いていた中華民国政府の最高顧問に就任した。・・・・・・
生前は二楽荘の他、上海や台湾の高雄(逍遥園)などに別荘を設けた。・・・・・

逍遙園(写真はWikipediaから借用)
台湾の南部 高雄に別荘が現存しているとのこと 尋ねてみたいところが増えました。
以上
2012/6/12(火)投稿

にほんブログ村