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本願寺台湾別院(西本願寺)

万華の中華路一段に「萬華406號廣場」という焼け落ちた「本願寺台湾別院」を整備した公園がある。写真は本堂跡
台湾の神社跡は 台湾人の記憶の中で「日本による統治」日本人にとっても「台湾の統治」の象徴なのだろう 有名なものも多く紹介されている。台湾における日本の仏教も 日本がはじめて手にした新領土
主だった仏教会派が台湾布教に熱心に乗り出しした。しかし既に道教、仏教の強い信仰ある台湾人にはさほど浸透せず 布教の対象は西海岸に点在するアミニズム信仰の平埔族でこれにはある程度成功したようではあるが人口は少なく 台湾の仏教は台湾の日本人が主な信徒であった為それほど台湾人の記憶に刻まれているという存在でもない。
戦後の施設の接収は 同じ性質をもつものが引き継ぐという方針のなか 国民党は日本の仏教を引き継ぐ対象がないとしたため 国民党と台湾の仏教会とで問題となり論争になっている。
その状況であった為 日本の仏教の施設が台湾の宗教法人にそのまま移行したものもあるなか 多くの仏教寺院は国民党に接収、または大陸からの蒋介石のつれて来た兵隊が不法に住み着き住宅がわりで利用されることとなる。 多神教の神道ベースの日本で最も信徒の多い会派である浄土真宗の性格だろうか 同じく多神教で宗教の混在する台湾の地で 日本統治時代日本の宗教の中で最も成功し ここ本願寺台湾別院は 日本の仏教寺院では最大の大きさであった。戦後台湾の仏教に引き継がれることもなく 眷村状態で荒れ果てる中 1975年に消失 現在焼けた状態を残しながら公園となった。


Wikipedia「本願寺台湾別院」
本願寺台湾別院(ほんがんじたいわんべついん)は、台湾台北市万華区(旧:新起町)にかつて存在した浄土真宗本願寺派の別院である。通称「西本願寺」。
日本統治時代の明治29年(1896年)に「本願寺布教所」として建立され、同34年(1901年)に「台北別院」と公称した。昭和4年(1929年)に「台湾別院」と改称した。戦後、廃寺となった。1975年に本堂をはじめ、ほとんどの建物が焼失し、2006年に台北市政府によって残った鐘楼、樹心会館が市定古跡、輪番所、遺跡(参道、本堂、御廟所)が歴史建築に指定された。
以上
2012/6/3(日)投稿

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