228公園の石牌「急公好義坊」(台湾台北 清朝) | ひょっこりひょう「たいわん」島/(台湾ブログ)

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228公園の石牌「急公好義坊」(台湾台北 清朝)

台北の228公園の履歴は 清朝時代台北で最大の宮、媽祖信仰の天后宮を総督府周辺から区画整理を行う中壊し 台灣總督府博物館を建てここを公園にしたことに始まる。日本統治時代は台北新公園とよばれ 博物館もあることから 歴史的なものが多く集められ設置されていて 細かく散策すれば時間をつぶせる場所。新宿2丁目のような「あちらの人」が集う場所としても有名らしいが 老人の方が多く一見それらしいカップルをそう多く見たことはない。


天后宮柱珠がそこらじゅうに椅子のように転がっているがこれも歴史物



                    急公好義坊
228公園には 中華鳥居の石牌坊が二つほどあるがその一つの「急公好義坊」、福徳宮の前に設置されてはいるが無関係、1905年に西門町付近にあったものを総督府が移設設置したもの またセットになっている二つの唐獅子もこの石牌坊とは無関係で 清朝時代の行政機関であったところの「台灣布政使司衙門」の唐獅子とのこと。



                    台灣布政使司衙門
急公好義坊の由来は 清朝時代の「貢生」洪騰雲を紀念して建造されたもので 貢生とは清朝の最高学府「国子監」で学ぶことを許されたひとのことを言う、即ち合格した成績優秀者に送られる称号で 豪商でもあった洪騰雲は台南でしか行われなかった試験に不便を感じる北部の受験者の為に受験宿を建設するなど公に尽くしたことを没後に顕彰され建てられたのがこの石牌とのこと。台湾でも人材を発掘していた清朝はスケールの大きな国であったのです。

以上
2011/10/1(土) 投稿

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