鳩山由紀夫の「友愛社会」
もう昨日になりましょうか 麻生総理大臣と民主鳩山由紀夫との党首討論が行われました。あくまで現実的な責任を負った麻生総理に対しては「目先」 なんの役にも立たない空言といううわごとを 視点の定まらない目でもうろうとただ繰る返す鳩山には「ビジョンが見えた」こんなイカサマの評価がかぶせられることでしょう。
ただ この鳩山の甘言を「立派な理想じゃないか 政治というものは一本筋の通った目指すべきもの それが友愛であるわけだから 何にも間違っていないのではないか」と受け入れる人がたくさん入ることは間違いのないことです。
不思議なことに 平幕が横綱にほんの少しあたっただけで土俵下に飛ばされた感じの この党首討論 マスコミの評価は不思議なことに 鳩山さんが少し優勢だったそうですw
では 友愛とは鳩山さんの言葉をかりずにどんなものか 国の指針となるべき友愛社会とは如何なるものなのかといえば 教育勅語が適切なので引用すると
父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
これこそ友愛社会です。またついでに隠れキリシタンの私としては 新渡戸稲造さんの言葉も引用してみます。
己はこれほど尽しおるに、先方はそれを思わずとうらむは人の癖で、これは親子、兄弟、夫妻の間にもあることである。して、先方もおそらく同じように思いおるならん。人を愛して愛の反響なきは、己の愛の足らぬ証拠と知るべし。我が心づくしに応ずる人なきとて、尽すかいなしと結論するはあやまりにして、これかえって尽す余地あるを示すものなり。「我が恩を/仇にて返す/人あらば/またその上に/慈悲をほどこせ」
キリスト教的精神といいますか 人間こうあらねばならぬとまことにそう思うものであります。
「おや あんた 明治大帝の大御心にもそっているし 博愛というか友愛の精神って立派じゃないですか!なんでそれを 民族派且つ隠れキリシタンのあんたが否定しますの?鳩山さん応援しなきゃいけないのでは? 好きな人が言ったら 良い言葉で 嫌いな人が言ったらダメってダブルスタンダードじゃん!」
と 突込みが入っても答えられますし 鳩山を詐欺師と糾弾します。それは
明治大帝の友愛も新渡戸稲造のそれも 国民の「義務」として語っているのに対し 鳩山さんは政治はそうあるべきで 国民はそれを受ける「権利」があり 権益をちらつかせながら 政権交代を促しているわけです。費用明細は後から 理想的な工事をいたしましたので 多額の請求書は回させて頂きますねってんじゃ リホーム詐欺とかわらないじゃないか!負担という義務を語らずに 権利意識のみに訴えかけるのは 詐欺。
以上
2009/5/28(木) 投稿