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鎮南山臨済護国禅寺の寄進者

再び圓山駅近くの臨済護国禅寺 日本統治時代のお寺であったが「2008年に日本の妙心寺派に復帰」したとのこと 日本統治時代のお寺は 同じ仏教の寺院として戦後も使われたりしているが 宗派の多い仏教のこと 戦後はある一定の「縁」で関係を保つことしか出来ないお寺さんが多いが 正式な同一宗派として復帰するということは稀なケースと言えるでしょう。

日本でもよく見かけるが 本堂のを囲む石柵に寄進者の名が刻まれていたのでひとつひとつ撮影をしてまわる。個人の寄進の地名は 台北○○、北投○○というのがほとんど 日本統治時代に北投に日本人が多く住んでいたことが伺える。団体名としては「三河郷友会」「竹の屋」「芳乃亭」「伏見屋」「梅屋敷」「幽静館」「デルロー 信生堂」などなど ここに出てくる「梅屋敷」は孫文が宿泊した旅館で有名 今は移設工事をされて公園内に保存されている。リンクを参考にされたし。
国父史蹟紀念館/逸仙公園(梅屋敷)リンク
日本の仏教も台湾統治時代日本人とともに進出したが 布教と言う意味では全く振るわず キリスト教がこの地で成功したのとはかなり違いがある。寄進者のなに台湾人が「今現在」残っていないのは 信者として存在しなかったのか 神社の灯篭に刻まれている寄進者の名前が 日本人のは残っていても 台湾人の名のものは破壊が激しい(戦後協力者との糾弾を恐れて自ら破壊したのか?)のと同じ理由であるのだろうか?

しかし 美しく修理されて日本人として台湾の人々に感謝をしたい。
以上
2009/4/8(水)投稿

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