
↑海地獄(別府)
「騙し討ち」というものがいつの時代から卑怯になったのだろうか 剣が競技化されて武道となったときのルールが戦場に持ち込まれたのであろうか ルールを共有していなければ成り立たない話ではある。
狩猟というものはどのように獲物をだますか裏をかくものであり 縄文人もまたそのような世界観に生きていたのだろうが 狩猟民族というのは 獲物を獲る必要性のない時は実に騙すということを生活の中で行なわなかったのではないだろうか? 狩猟先住民族は意図も簡単に騙される存在として登場する。騙す相手は農耕を手にしたひとからである。農耕は計画、交渉と約束ごと そしてものを貯めることであり 有利をつかむことは騙しの要素がいること 古事記などには天つ神が国つ神を征服する「弥生史観」からでも 騙すことを恥じてはいない。 必要以上に獲物をとらないというルールと 獲物への尊敬という意味では 騙し討ちを嫌う後世の武士道は 縄文精神に近く 大和こころの源流かもしれない。
卑弥呼などは弥生的であるが 土着の呪術を取り入れて融合し 日本の祭りは 東北のものを筆頭に「縄文的」である。生産(農業)、軍事、政治は弥生文化が圧倒しながら 生活文化(伝統工芸)、宗教観(神への感覚、自然との関わり)、言葉などの 心にまつわる縄文的部分が根幹に残り実に日本的である。なぜ弥生の征服された縄文が根絶やしにならずに残ったのか?風土がそれを棄てさせなかったのか 弥生といわれるもの自体が 縄文が進化したものとも考えられる。
以上
2006/3/19(日) 投稿