
【明治神宮発行「大御心」】
フェアプレーの精神は 絶対神のもとでの平等という条件を正しく設定するという意識であり
一度この設定した条件に同意をした瞬間から 設定できなかった隠れた不平等の結果の反映は深く考えないというものであろうと思います。
「正々堂々」を「天下堂々」を読み替えてみると フェアプレーの精神に足りないものは
天の下 恥じをしること。
明治大帝御製
「めにみえぬ かみにむかいて はじざるは ひとのこころの まことなりけり」
神に愛される条件と神に嫌われない条件という微妙な差がでている感じであります。
以上
2006/3/19(日) 投稿