
写真【中国厦門市 普陀寺】
台湾人に「あけましておめでとう」と言うと 続いて祝福の言葉を並べるように言われ 理由を聞くと 相手の幸せを願うなら言葉に出して単語を言わないと 幸せにならないとのこと。日本人の私としては 新年早々言葉に出して祝福の言葉を不用意に出せば なんだかその人に責任が生まれるような気がして(心の中で祈った方が価値があるような)ちゅうちょしてしまいました。
言霊のとらえ方に中華圏と違いがあるようです。
「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国・・・・・・・」
「あんまり口に出してはいけないけど・・・」ということに大和の国はなるわけです。漢字の国の言霊はあちらこちらにめでたい文字が貼られておりますし 中華文化圏の景勝地にはかならずといってよいほど 見通しのよい岩肌に文字が刻まれております。
日本はそもその言葉で神々と会話を投げかけることはあっても 彫刻や絵画に神々の偶像を表現し崇めることもなかった。生活のなかで 「神々の存在に気づくこと」にしか意味がなかったのかもしれません。たしかに 鳥居は神々がおられそうなところにたたずむだけです。
以上
2006/3/14(火) 投稿

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